どーもKABUOです。
山形県最上地方戸沢村の
史跡調査を行いましたので
歴史や史跡をご紹介します。
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戸沢村の歴史と史跡をご紹介!
戸沢村役場
最上川舟下りの里、戸沢村。
戸沢村という地名は
江戸時代最上地方を統治した
新庄藩主戸沢氏が由来になっており
1955年
古口村と角川村と第一次戸沢村が
合併して村立したのが
現在の戸沢村になります。
古口駅
戸沢村中心街にあります古口駅。
古口という地名の由来は
出羽三山へ辿る古い登山口が
あった事から古口と呼ばれ
古口から時代が移りにつれ
清川や現在では狩川口からの
登山道が一般的となった為
次第に廃れて行った
経緯があったそうです。
今熊野神社
古口から角川地区を通り
出羽三山へ向かう旧参道にあります
今熊野神社。
こちらで参拝した後に入山したと
記録に残されており
境内には樹齢1200年を越える
県指定天然記念物に長倉の大杉を
見ることが出来ます。
今神温泉
先程の紹介した今熊野神社から
4㎞程山道を進みますと
こちらの今神温泉に到着します。
724年に発見され
出羽三山へ向かう行者が
ここで湯垢離をして
身の汚れを払ってから
登頂を行った歴史が残されており
現在温泉は閉鎖されていますが
2010年頃まで
念仏温泉と呼ばれたこの温泉は
入浴し一心不乱に念仏を唱えれば
どんな病気でもたちまちに
治癒してしまうとされる
奇跡の温泉と呼ばれ
霊場として知られておりました。
最上川
戸沢村が最初に歴史に登場するのは
平安時代の頃、
当時宮城県にありました
国府多賀城から庄内地方を経由して
日本海沿岸通り秋田市にあります
秋田城へ向かう官道に佐藝(さぎ)駅と
呼ばれる場所がありました
この駅亭は水駅と思われ
現在の戸沢村津谷地内の最上川と
鮭川の合流地点付近にあったと
推定されており(諸説あり)
古代の時代から
山形内陸地方から庄内へ抜ける
主要な交通路が通っておりました。
古口楯跡
中世の時代
この頃、庄内地方の武藤氏や
秋田仙北地方の小野寺氏による
最上地方に勢力を広げた
時代でありました
こちらの楯跡は
庄内からの侵攻に備える為
大蔵村清水を拠点とした
清水城主清水満久の命により
家臣、秋保日向が居城した
楯跡になります。
清水氏の歴史と史跡の
紹介はこちらです
岩鼻館跡
戸沢村蔵岡にあります
仙北小野寺氏の客将、
佐々木氏が居城した岩鼻館跡。
1563年
武藤氏がこの地まで侵攻し
佐々木氏は奮戦するも岩鼻館は
落城し真室川まで後退し、
地名を取り鮭延と名乗り
真室川一帯を統治します。
その後、最上義光の家臣となり
鮭延氏は大いに活躍し
最上地方一帯を
最上家が統治する事となりました。
戸澤藩船番所
1622年
最上家の家中内乱末
幕府により改易を命じられ
戸沢氏が最上地方に入部し
新庄藩を立藩し幕末まで
200年以上最上地方を統治します。
古代から庄内と新庄を結ぶ
主要な交通路でありましたが
最上峡の険しい地形から
主に船を使った交通や
運搬が行われており
戸沢村にありますこちらの
戸澤藩船番所では
関所として交通や運搬が行われる際の
取り締まりが行われておりました。
その後、明治時代に入り
山形県令三島道庸により
最上峡の掘削工事が行われ
国道47号線が開通しますと
舟運の役目を終え、
現在こちらでは最上川を舟で巡る
最上川舟下りが行われており
戸沢村きっての観光スポットとなっており
源義経や松尾芭蕉も巡った
最上川の風景を楽しむ事が出来ます。
国民健康保険発祥の碑
山深く豪雪地帯であった
戸沢村角川地区。
僻地のため交通の便は悪く、
医師のいない村でありました
経済的困窮もかさなり
病気になっても治療を受けられない
状態から脱却するため村営の診療所と
誰でも診察が出来るように
角川保険組合を村立します
村人から所得に応じて
保険料を支払う事によって
村人が低負担で医療サービスが
受けられるようになり
今日、日本社会を支える
国民健康保険の原型となりました。
それを記念し戸沢村角川地区には
記念碑が建てられております。
幻想の森
現在
戸沢村ではエゴマやお蕎麦の
生産が盛んに行われており、
また観光業では先程紹介した
最上川舟下りの他に
大自然を巡るトレッキングにも
力をいれております
また戸沢村では古民家を行かした
宿泊施設も多数ありのどかな田舎を
味わえる事が出来ますので
ぜひ観光に訪れてみてください。
以上
戸沢村の歴史と史跡の
ご紹介でした。
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