どーもKABUOです。
西山形地区の歴史と史跡の
調査を行いました。
前回の記事はこちらです
今回は西山形地区にあります
県道17号線狐越街道を通りながら
門伝地区の歴史と史跡をご紹介します
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西山形地区の歴史と史跡をご紹介 (門伝地区)!
西山形門伝地区
南北朝時代から地名が文献に残る
古い歴史を持つ同地区は
県道 17号線山形市から白鷹町を結ぶ
狐越街道が通っており
1600年慶長出羽合戦の際に
直江兼続が同街道を通り
山形に侵攻した歴史や
古墳や富神山信仰があったりと
歴史と史跡が数多く残る地区になります
大ノ越古墳
五世紀頃に築造され
多種多様な副葬品は県内有数を誇り
本沢地区にあります菅沢古墳と共に
山形盆地一帯を支配するような
豪族がが埋葬されたあとされます
皆龍寺
元々は五福院というお寺でしたが
慶長出羽合戦の際に戦火に合い
現在の門伝地区に移りました。
キリスト教弾圧があった江戸時代に
キリスト教宣教師が処刑され
このお寺に弔ったと伝わっております。
富神山
西山形地区のシンボルと言える富神山
縄文時代から信仰されており
1600年、慶長出羽合戦では
石田三成が敗北した知らせを聞いた
直江兼続は撤退を開始し
追撃を図る最上義光との軍勢が
この門伝周辺で争ったと
伝わっております。
常夜燈
狐越街道は山形城から白鷹を
最短距離で結ぶ街道で
戦国時代には置賜を支配する
伊達氏を牽制する為
最上氏の山城や館を築城され
富神山周辺や県民の森に向かって
曲森山楯や滝の山楯、おかぐら山館等、
多くの楯跡が残っております
江戸時代の頃は主要道路では無く
あくまで脇道程度の存在でありましたが
明治時代に入り柏倉地区から
県に道路拡張を要望。
道路の改修工事が行われ
山形から白鷹、長井までの
交通の利便性があがりました
写真の常夜燈は
1900年に狐越街道の旧道に
設置された史跡になります
七ッ松の地蔵尊
狐越街道を白鷹方面に進みますと
門伝七ッ松地区に到着します
このあたりは傾斜が高い山が多く
慶長出羽合戦の際は
退却する上杉軍が足止めを位
追撃した最上軍に追い付かれてしまい
両軍多くの死者を出した
女子林古戦場が近くにあり、
七ッ松観音堂の境内にある
こちらのお地蔵さまは
慶長出羽合戦の両軍犠牲者を
供養するために女子林古戦場に
祀られましたが人通りも少なく
不憫に思った近くの村人が
現在の場所に移転しました。
地福寺
村山盆地を挟んで東の蔵王山系が
天台宗に宗教拠点に対して
西の白鷹山系は真言宗が栄えた
地帯だと言われており、
こちらの地福寺は
最上家始祖、斯波兼頼がこの寺に
別当山の永久支配を許され、
さらに最上家の武運長久の祈願所として
また山岳信仰の道場として
代々最上家から手厚い保護を
受けたとされます。
双葉小学校
山形市門伝地区にあります
双葉小学校は1956年に開校され
以来地区の教育に育みましたが
地区の少子化の影響により
2012年3月に閉校し
西山形小学校と統合されました
県庁所在地である山形市でも
少子化の影響が始まり
このような出来事が起きたことは
今後の山形県の将来を
考えさせられる出来事だと思います
(*´ー`*)
恋人岬
双葉小学校から
県道17号線を通り山形市県民の森へと
向かう途中にありますこちらは
山形市市街地と富神山が一望出来る
景勝スポットして知られており
夜中には夜景を見に訪れる
カップルが集まっておりました(* ̄∇ ̄*)
西山形地区は柏倉、門伝地区共に
史跡が多く深い歴史が残っていますので
これを機会に同地域に興味を持って
頂ければと思います。
以上
西山形地区の歴史と史跡の
ご紹介でした
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