どーもKABUOです。
山形市にあります西山形地区の
歴史と史跡を調査してまいりました。
西山形地区は柏倉地区と門伝地区で
構成されている地区で
縄文時代の遺跡や祭祀跡が残る
山形市内でもとてもとても
古い歴史を持つ地区になります
今回は
柏倉地区と門伝地区とを分けて
西山形地区のご紹介をしていきますので
よろしくお願いします。
スポンサーリンク
西山形地区の歴史と史跡をご紹介(柏倉地区編)!
西山形小学校
西山形地区ですが
1889年に柏倉、門伝地区が
合併し柏倉門伝村が発足
1956年に山形市に編入され
主に農業が盛んに行われており
2005年からは地区のお米や水を使った
地酒、柏倉門伝が造られております
柏倉門伝は地区の会員限定で飲めるのですが
同地区の住む親戚に毎年送って頂き
さっぱりとしており
魅力的な味わいをしております。
(* ̄∇ ̄*)
富神明神社
西山形地区のシンボルと言える
三角形の美しい形をした富神山
富神山は縄文時代から信仰され
こちらの富神明神社には縄文時代の
ストーンサークルの史跡や
祭祀跡が残っており
古い歴史を持つ神社にになります
山形市の中心地は
その昔湿地帯であった為
山沿いに最初人々は居住したとされ
山沿いにあります柏倉地区や門伝地区には
坊屋敷縄文遺跡、大清水縄文遺跡
金池縄文遺跡、窪縄文遺跡等
古代遺跡や出土品が数多くあります
柏倉八幡神社
こちらの柏倉神社は山形市内の中でも
古い歴史を持つ神社で
古代から聖地として崇められ
源義家が1068年に神社を創建したと
伝わっております。
1600年、慶長出羽合戦の際に
直江兼続に焼き討ちされましたが
最上義光によって再建されました
現在の寺院は
平成2012年の火災によって
新しく建てられた寺院になります。
明源寺
1624年に創建されたお寺で境内には
源頼朝重臣で御家人となった
安達藤九郎盛長が寺山に寺山に建てた
毘沙門堂が後に明源寺に移され
再建された歴史を持ちます
安達藤九郎盛長は鎌倉幕府の
創建にも携わった頼朝の側近中の側近で
山寺立石寺で毘沙門天が夢枕で
「西の方へ行け」と告げられ
夢に諭された藤九郎は
柏倉寺山に真妙寺というお寺を建て
毘沙門天を祀るお堂を建てたとされます
主水塚
こちらは1600年
最上義光と直江兼続が争った
慶長出羽合戦の際、上杉軍であった
剣術新陰流の祖、上泉泰綱が戦死後、
この地に埋葬したと伝わっております。
柏倉陣屋跡
柏倉陣屋は山形城主として
この地を治めた堀田氏が
千葉県佐倉に領地代えを命じられた際
この地に柏倉陣屋を置き飛び地として
周辺村々を統治した歴史を持っております
この柏倉陣屋には寺子屋があった為、
陣屋に駐屯する武士の子弟のほかに
近くの村々に住む人々も多く
学問を学びに訪れたとされ
また疱瘡を治療する種痘所も設置され
疱瘡から多くの子供たちの命が救われた
歴史を待ちます。
1747年から1871年の124年以上
周辺地域を治めた柏倉陣屋は
明治初頭に取り壊されてしまい
現在は西部児童館が建造され
遺構は殆ど残ってはおりませんでした
以上西山形地区柏倉編のご紹介でした
ランキングに参加しています
記事の内容がよろしければ
バナークリックをお願いします
アクセス場所はこちらです。
おすすめ関連記事
スポンサーリンク