どーもKABUOです。
2019年7月
山形市南沼原地区の
歴史と史跡の調査を行いましたので
地域に愛着を持っていただけるよう
分かりやすくご紹介出来ればと思います
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南沼原地区の歴史と史跡をご紹介!
南沼原小学校
南沼原地区は 1889年
南舘、吉原、沼木地区の
各村々が合併し各村々から地名の
南、沼、原と一文字ずつ取り
南沼原村が発足。
そして 1954年
山形市と編入され
地区にあります南沼原小学校が
地名の名残を残しております。
南舘神明神社
南館地区は上山を結ぶ羽州街道
白鷹町を結ぶ狐越街道、
南陽市宮内を結ぶ小滝街道と
主要道が多く結んでおり
重要軍事拠点であった為、
山形城の南の守りを固める為
南舘神明神社一帯に
小規模な館が建造されました
また最上義光の妹、義姫が
伊達家から山形城に戻った際に
居住した場所でもあり
現在の南舘の地名の由来となった
歴史があります。
水分神社
こちらは吉原地区の
鎮守の神として崇められ
虚空菩薩と呼ばれ信仰されて
水分神社。
水にかかわる神様なのですが
吉原地区は瀧山川、犬川、須川と
豊富な河川が地区を流れ農作物が育つ
豊穣な土地柄でありましたが
その反面河川の氾濫が多く
度々洪水に襲われた歴史を持つ
土地になります。
慶長出羽合戦と若宮八幡神社
現在南イオンの南側に
ひっそりと佇む若宮八幡神社は
鎌倉時代に源頼朝の重臣安達藤九郎が
吉原楯を築いた際に
守護神として祀られ
1600年
慶長出羽合戦の際には
最上義光がこの場所に本陣を置き
上杉軍、直江兼続と須川を挟んで応戦し
川を渡った最上軍が直江兼続率いる
鉄砲隊に狙撃されたと伝わっております
富の中大日堂
沼木の郷司であった綾之助が
大日堂如来様を護り本尊として
自宅屋敷(沼木の産業短期大学の東周辺)に
958年に建てたもので1615年に
この地に移し建立されました
1622年
山形藩最上家が改易されると
目まぐるしく城主が代わり続け
この吉原地区には 宇都宮藩の所領となり
一時吉原陣屋が築かれ統治されましたが
その後、吉原地区は佐倉領堀田氏の
所領となりわずか15年で吉原陣屋の
歴史は閉じてしまいました。
沼木稲荷神社
沼木地区は白鷹を結ぶ狐越街道や
出羽三山へ向かう修験者等
人々の往来も多く地区には
休石の史跡も残っております
沼木地区は江戸時代
島原藩の所領であった事から
沼木陣屋が築かれこの地を統治しますが
堀田氏へと所領が移り変わり
沼木陣屋は閉鎖してしまいますが
その後、1842年陣屋の跡に
稲荷神社が創建される事になります
以上、南沼原地区の
歴史と史跡のご紹介でした。
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