どーもKABUOです。
2018年に一度、山形市にあります
楯山地区の歴史や史跡について
執筆を行ったのですが
写真の質や文章の悪さが目立ち
再度加筆修正したいと思い
今回再度執筆にあたりました
前回記載した内容の記事はこちらです
今回は加筆修正にあたり
私が興味が引かれた同地区の
歴史や史跡についての
説明だけになりますが
地域に愛着が持って頂けるよう
分かりやすく
ご紹介出来ればと思います。
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楯山地区の歴史と史跡をご紹介!
楯山駅
楯山地区の地区名の由来ですが
風間地区にあります風間山の
古名の楯山に由来しており
その昔、山形から仙台まで結ぶ
二口街道の街道沿いに村落があった為
人々の往来によって栄えた歴史を持つ
地区になります
1889年
風間、青柳、十文字、青野地区の
村々が合併し楯山村が発足、
1954年
楯山村は山形市に編入し
楯山という地名は消滅しましたが
楯山駅や楯山小学校などで
当時の地名の名残が残っております
風間薬師如来
楯山地区風間にあります風間薬師如来。
戦国時代にはこの風間薬師如来近くには
風間遠江守が統治した
風間楯があったとされ
最上義光の天童城攻略の際に
義光に内通して立てこもった
歴史がこの風間山には残っております
こちらの風間薬師如来の山頂では
楯山地区の町並みが望め景色も良く
私のお気に入りスポットです。
石棺
楯山小学校の敷地内にありますこちら、
1200年前の古い古墳の史跡跡で
この地に古くから大きな集落が
あったと考えられ、
鈴川地区の
高原古墳と同じ時代の史跡らしく
楯山、鈴川地区と多くの
古墳史跡が残っており
見ごたえがあります
延命水神
風間地区にありますこちらの史跡
1943年この地区を襲った大干魃時に
風間地区で採掘された三ヶ所の
井戸のひとつになり
いままでどんな日照りでも
枯れることなく
湧水を吸い上げております。
風間の六面幢
山形市流通センター前にこちらの史跡は
室町時代に創建されたとされ
上部の各面にある長方形の穴には
地蔵菩薩の小像が安置したとされ
二口街道から山形城下へ通じる
交通の要所にあったとされ
当時の信仰や交通状況を
知ることが出きる
貴重な史跡跡になります
青柳八幡神社と長谷観音
楯山地区青柳は
低湿地帯である池沼が多く
養鯉が盛んに行われている地域で
こちらの神社仏閣は
青柳の鎮守の神である青柳八幡神社と
最上家始祖斯波兼頼によって
創建された長谷観音で
青柳地区の信仰の場所として
古くから慣れ親しまれています。
青柳城跡
青柳地区の民家前にあるこちらは
最上義光家臣、長谷川長右衛門の
居館跡であり青柳地域を周辺に
領地がありました。
経壇山
青柳地区にありますこちらの史跡
経壇山の名所の由来は
この地に浄光寺というお寺があり
最上義光の時代に山形の鍛冶町に移った
その際に多くの経典や経巻が土中に
埋められ経壇山と
言われるようになりました
天満神社
楯山地区十文字にありますこちらは
境内は広くとても神聖な雰囲気が漂い
十文字地区の方々の
和みの場所であることでしょう。
上埜山大樹院
楯山地区青野にありますこちらは
弘法大師空海によって開創されたとされ
東北三十六不動尊霊場の4番霊所として
栄えた天台宗のお寺になります
寺院内には多くのお不動様が安置され
見ごたえがある寺院でありました。
以上楯山地区の歴史と史跡の
ご紹介でした。
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