どーもKABUOです。
素敵な歴女とお付き合いしたい
どーもKABUOです(笑)
さてそんなどうでもいい話はさておき
僕は山形県山形市出身で
生まれも育ちも山形市なのですが
子供の頃からよく連れて来られてのが
こちら山形市霞城公園でした
ここは山形県村山地方の
基礎を作り上げた初代山形藩主、
最上義光の居城であります
最近では
鮭好きが有名過ぎて鮭殿と呼ばれたり
妹の義姫が好きすぎてシスコンと
呼ばれたりとなんとも
可愛らしい人物像が
注目が浴びております(笑)
そんな
幼い頃から慣れ親しみ尊敬している
最上義光について霞城公園を中心に
関連史跡を調べまとめましたので
山形市の観光や最上義光好きな方に
ぜひご覧頂ければと思います
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最上義光の聖地巡礼!歴史や史跡スポットをご紹介🏯(山形城下町編)
山形城と最上義光の銅像
まずは山形城。
最上家始祖、斯波兼頼によって
築城された平城型のお城で
日本百名城にも選ばれており
お城の中心には
最上義光の銅像が設置され
春には桜が咲き誇る観光名所です
ここでゆっくりと観光してから
南門近くにありますおやつ屋さんで
山形B級グルメどんどん焼きを
食べるのが僕のおすすめです
(* ̄∇ ̄*)
山形城の歴史はこちらで記載してます
最上義光歴史館
開館時間 9:00-17:00
休館日 月曜日
入場料 無料
山形城の東大手門から
徒歩1分で到着出来る
最上義光記念館。
最上義光がかぶった兜や
慶長出羽合戦の際の関連資料が
展示されており料金無料で
観覧する事が出来ます。
義光のかぶった兜には
慶長出羽合戦の際に敵方直江兼続による
銃撃で被弾した銃弾跡が残っており
見る価値が高い展示物になっています
専称寺
ここは最上義光の娘で
悲運の運命を歩んでしまった
駒姫の菩提寺であります。
ここは昔、寺町と呼ばれており
多くの寺院が密集されておりますが
これは仙台と山形を結んだ
笹谷街道を通るルートでもあった為
仙台藩を治めた伊達政宗に
いつ謀反を起こし
山形に攻めてくるかもしれない
警戒感から寺を密集させて
いつでも軍用基地に使えるように
町割りしたと言われています
その事実を踏まえて専称寺を訪れると
また違った山形城下の楽しみ方が
見えてくると思います
専称寺と駒姫の記事はこちらです
歌懸稲荷神社
最上義光は非常に教養が高く
特に連歌を多く残した文化人の一面を
持った武将でもありました
こちらの歌懸稲荷神社では
歌を書いた短冊を神社に奉納する
風習があり近くに歌を読まないと
渡らせない橋があった事から
歌懸の由来となり
歴代最上家からの信仰も厚く
義光自信も奉納した事でしょう。
山形城三の丸跡
義光が城下町を形成した際に
武家屋敷を取り囲むように
石と土嚢を積んだ壁の構築を始めます
当時の山形藩の様子は
関ヶ原の戦いが終わり、
敵方西軍に与した大名を
各地に分配し改易を行いましたが
秋田には佐竹家、山形県米沢には上杉家
東軍に属したが謀反の疑いが拭えない
伊達家と四方敵に囲まれるような
領土配分される事となりました。
この時の義光の任務は
各地の大名を牽制する役割を任され為、
このような軍備増強を行いました。
現在多くの三の丸の史跡は
明治以降取り壊されましたが
歌懸稲荷神社の裏手には
当時の面影を残す大規模な
石積や土嚢跡が残っております。
常念寺
ここは最上義光嫡男で
謎の暗殺劇によって命を落とした
最上義康の菩提寺になります
将来最有望とされた義康ですが
義光と仲違いしてしまい
後に高野山へと追放されますが
その道中暗殺されてしまいました
その後、彼の家を捜索すると
父にあてた労いの手紙が見つかり
義光は落胆し涙を流したとされます
彼がもし存命ならば最上家の歴史が
変わっていたかもしれないです( ω-、)
最上義康の関連記事はこちらです
光禅寺
ここは 68歳で生涯を閉じた
最上義光の菩提寺になります。
山形村山地方を治め最盛期には
最上、庄内、秋田南部まで領土を広げ
57万石の大名まで上りつめた男が
ここで静かに眠っております
米の収穫がままならない時は
義光は税収を軽くし保護したとされ
義光が治めた時代は農民による
一揆がとても少なかったとされ
とても領民に慕われた人物で
ありました。
参道を抜け本道の裏手に
お墓がありますので
参拝を行って帰りましょう。
光禅寺の関連記事はこちらです
どの史跡やお寺も
山形駅から歩いて行けるますし
レンタルバイクも貸し出しが
行われていますので
ぜひ活用してみてください
今後山形県内を巡り
各地にあります義光の
おすすめ史跡をご紹介
出来ればと思います
以上山形城下にあります
最上義光のおすすめ史跡でした
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