KABUOのぶらり旅日記

どーもKABUOです。 地元山形を中心に各地のグルメ・温泉サウナ・歴史史跡巡りや観光スポットを訪れブログでご紹介しています。

山形市 悲運の死を遂げた駒姫と菩提寺専称寺をご紹介!

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どーもKABUOです

 

2019年6月

山形城を中心に

最上義光ゆかりのある

史跡巡りを行いました。

 

今回ご紹介するのは、

最上義光の娘で悲運の死を遂げた

駒姫と菩提寺専称寺について

ご紹介出来ればと思います。

 

悲運の死を遂げた駒姫と菩提寺専称寺をご紹介!

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専称寺

 

最上義光と正室大崎夫人の

五女として生まれた駒姫は

東国一の美貌を誇ると噂されるほど

花のような可憐な女性であったとされ

最上義光からも愛され可愛がられました

 

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専称寺境内を流れる御殿堰

 

そんな噂を聞き付けた

時の関白で絶対的な権力を誇る

豊臣秀吉の甥である豊臣秀次に

「ぜひ側室に!」と懇願されます

 

逸話として豊臣秀次が青森で起こった

九戸政実の乱の出兵の際、

山形城に立ち寄りその時、

駒姫を見初めたとされますが

これは後からの創作の可能性が高く

実際は顔も知らずに東国一の美女という

噂を聞き付けただけで

側室を懇願したとされます。

 

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専称寺の大イチョウ

 

豊臣秀次はかなりの女たらしで

側室も 30人もいたため

義光は最初渋々断り続けましたが

何とか引き延ばしを図っておりましたが

 

時の権力者には逆らえない立場でもあり

また豊臣家にパイプを築き挙げるという

名目で渋々と了承をし

駒姫が15歳になったら嫁がせると

約束してしまいます。

 

こちらの菩提寺の大イチョウは

山形市の指定天然記念物に指定され

大イチョウの葉が全部落葉すると

根雪となるといわれている

雪降りイチョウの木として

市民に慕われております。

 

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専称寺の梵鐘

 

しかし奇しくも山形から秀次のいる

京都聚楽第に向かったその年、

 

秀吉に待望の嫡男秀頼が生誕すると

豊臣家を次がせたい思いから

秀次に冷遇な対応を取るようになり

秀吉と秀次との家中争いに発展。

 

そして謀反を企てたと言いかがりを付け

秀次を高野山に退去命じた後に

切腹を命じ粛清を図ります。

 

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専称寺本堂

 

それでも秀吉の怒りは収まらず

矛先は秀次の側室までに及び

全員を処刑せよとの命令を出します。

 

この時、駒姫は山形から

京都に着いたばかりで

まだ秀次に顔を会わせていないにも

かかわらず処刑の命を受けてしまいます。

 

一方その頃、義光にも

駒姫処刑命令の情報が届くと

娘を助けたい一心の末

あらゆる手を尽くしての

必死の助命嘆願が行いますが

その声は届かず駒姫は京都三条河原で

処刑される事となりました

 

享年15歳

 

駒姫の辞世の句はこのようなものでした

罪なき身も世の曇りにさへられて、ともに冥土に趣(赴)かば、
  五常の罪も滅びなんと思ひて   伊満(いま)十五歳
    罪を切る弥陀の剣にかかる身の
     なにか五つのさわりあるべき
 「罪なき私の身も、世間のよこしまな動きに邪魔されて、みんなと共に冥土に行ったならば、五つの徳目にそむいた罪も滅びるだろうと思って、罪を切る阿弥陀様の剣にかかるわが身、どうして成仏できない五つの障害などあるでしょうか。きっと、極楽浄土に行かれることでしょう」

(最上義光記念館引用)

 

その最後の様子を聞かされた義光は

「過去の業にこそ」と呟いたそうです

 

 

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駒姫のお墓

 

義光に更に不運が続きます。

娘の死を知った正室大崎夫人が

酷く傷つき嘆き悲しんだ後に

駒姫の死から14日後に

亡くなったのです。

 

それは娘の悲運に心労が困憊し

自殺したとする説があります。

 

追い討ちを掛けるように秀吉に

秀次との仲を疑われてしまい

謹慎処分の命を受けてしまい

愛する妻と娘を失った義光は

食事が喉を通らないほど

落胆し深く嘆き悲しみ

 

その後、天童市高擶にあった

専称寺を当地に移建し

駒姫と大崎夫人を供養しました。

 

二人の死は義光にとっても

人生のキーパーソンでもあり

その後、深く仏門を信仰し始め

山形城下町周辺に幾つもの

寺院を建造を進めた他に、

 

豊臣秀吉の死後、

誰よりも早く徳川家康に組み入れ

慶長出羽合戦で直江兼続率い上杉軍と

戦う事となりました。

 

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駒姫 三条河原異聞

作家  武内涼

出版社 新潮社

 

文禄四年、夏。最上義光の娘・駒姫は、関白秀次の側室となるため聚楽第に入った。しかしその直後、秀次は謀反の罪で切腹。残された妻子には想像を絶する運命が待ち受けていた――。姫を救うため、最上家家臣たちの壮絶な闘いが幕を開ける! 「この時代小説がすごい!」文庫書き下ろし部門No.1の著者による慟哭の歴史ドラマ

(新潮社引用)

 

駒姫の菩提寺、専称寺に訪れる際に

おすすめしたいのが武内涼原作の

小説、駒姫 三条河原異聞。

 

歴史的忠実を武内涼の独自解釈によって

創作された小説になるのですが

駒姫や最上義光の悲劇は勿論の事、

豊臣秀吉、徳川家康、伊達政宗の

心境や思惑が深く挟まれており

当時の時代背景がよく分かりますし

歴史に興味がない方でも

小説のストーリーとして

十分に楽しめる一冊になっています。

 

山形に観光で訪れ専称寺に来られる際

この一冊を読めばもっと深く

駒姫の事が分かって頂け

専称寺の観光が楽しめると思います。

 

では機会がありましたら

専称寺の参拝をぜひお待ちしています

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