どーもKABUOです。
2017年に一度、山形市にあります
千歳の歴史や史跡について
執筆を行ったのですが
写真の質や文章の悪さが目立ち
再度加筆修正したいと思い
今回再度執筆にあたりました
今回は加筆修正にあたり
私が興味が引かれた同地区の
歴史や史跡について
地域に愛着が持って頂けるよう
分かりやすくご紹介出来ればと思います。
山形市 千歳 出羽地区の歴史と史跡をご紹介!
羽前千歳駅
同地区の歴史ですが
共に秋田久保田藩や青森弘前藩等の
参勤交代の際に使用された
羽州街道沿いに集落を形成し、
人々の出入りや荷物の運搬の往来が
激しかった歴史がある地区です。
千歳地区の歴史ですが
明治22年に長町村と落合村の
合併によって千歳村が成立した事から
地区の歴史が始まり
昭和18年に山形市に編入され
現在へと至ります。
また長町地区には最上義光の家臣
長岡但馬の居楯があったとされ
山形城の北面の防備にあったとされます
水天宮
馬見ヶ崎河川沿いにある同地区は
度々洪水に見舞われ
明治21年9月、川が氾濫し
大きな被害を蒙ったので
村中総出で第一堤防を築き
二度と起こらないように
水天宮を祀って祈願しました。
よだれ地蔵
県道22号線沿いを進むと
ぽつんと佇む一体のお地蔵さまを
発見出来るかと思います。
案内板は古く掠れて読みにくいのですが
こちらのお地蔵さまは
1782年から1787年まで起こった
奥羽、関東地方を襲った
天明の大飢饉の時に同地区で亡くなった
多くの人々を供養するために
建造された歴史を持ち、
いつもお顔を見ると口のあたりが
濡れたように黒ずんでいるのと
子供の酷いヨダレが治った事から
よだれ地蔵と呼ばれるようになりました
熊野神社
長町地区にあります熊野神社は
最上家始祖、斯波兼頼が
山形城北部の外砦鎮護として創建され、
最上家家臣、落合伯耆守によって
熱く信奉したと伝わっております。
二口橋
二口橋は 山形市円応寺町から
落合地区までを結んでおり
その昔この橋の下近くでは
山形城の罪人が集められ
処刑を行われた跡地でもあります。
落合地区の地名の由来は
大川堰と野呂川が当地で
合流する事から由来となり
先程ご紹介しました落合伯耆守の
居楯跡があったとされ、
二口橋から楯山に入り
山寺、高瀬から二つに道が別れ
仙台城下町を結んだ二口街道沿いに
村落を形成して栄えた地区になります。
以上山形市千歳地区の
歴史と史跡のご紹介でした。