どーもKABUOです。
2017年に一度、山形市にあります
出羽地区の歴史や史跡について
執筆を行ったのですが
写真の質や文章の悪さが目立ち
再度加筆修正したいと思い
今回再度執筆にあたりました
今回は加筆修正にあたり
私が興味が引かれた同地区の
歴史や史跡についての
説明だけになりますが
地域に愛着が持って頂けるよう
分かりやすくご紹介出来ればと思います。
出羽地区の歴史と史跡をご紹介!
出羽小学校
同地区の歴史ですが
共に秋田久保田藩や青森弘前藩等の
参勤交代の際に使用された
羽州街道沿いに集落を形成し栄えた
歴史を持つ地区になります
明治22年に漆山、千手堂、七浦の
3ヶ村が合併し成立し、地区の由来は
三条実美が千手観音に渇げた
扁額の出羽一仏に由来します。
一里塚八幡神社
旅の安全と近所の守護神として
こちらの一里塚八幡神社が
建造されたとされます。
人々の往来や荷物の運搬によって
出羽地区の街道沿いは
大いに賑わいをみせた名残が
感じる事が出来るのではないでしょうか
吉祥院
最上三十三観音の第三札所で
千手観音とも呼ばれ地域に親しまれ
千手堂地区の地名の由来と
なっております。
知り合いから伺った話なのですが
吉祥院さんの和尚さんは
お祓いの世界では
ピカイチの腕前を持ち、
山形県出身の人気タレント
橋本マナミさんがまだ売れない時期に
お祓いをこちらで行った所
みるみるうちに売れっ子タレントの
仲間入りを果たしたという
嘘か真か分からない話を
聞かされたことがありました
もし和尚さんに
出会う機会がありましたら
お話を聞いてみてはいかがでしょうか
明治天皇小休所
明治14年
東北巡幸を行った明治天皇が
漆山の半沢久次郎宅でご休憩された
事を記念して同地区の漆山稲荷神社に
記念の石碑が残っており、
半沢久次郎の屋敷跡の一部は
山形市蔵王のわらべの里で復元され
玉座などが見学が
出来るようになっています。
漆山駅
漆山地区の歴史ですが
最上氏3代目当主最上満直の三男で
漆山殿と呼ばれた満頼がこの地に
漆山城を築き地域を統治します。
12代目当主最上義光の死後に
この地に家臣鈴木備後守が
城主となりますが
1622年、最上家改易となると
領主が繰り返し変わる事から
地区周辺を統治する為漆山城の跡地に
漆山陣屋が授けられる事となります。
浄土院
江戸時代
山形藩、幕府領、飛び地領と
目まぐるしく領主を変えた
漆山地区でしたが
1767年
山形藩に秋元家が入部しますと
手厚い信仰の元、浄土院を
御廟所として定め
それから78年間と山形藩を
秋元家4代続き統治するのですが
1845年
群馬県館林藩に転封を命じられ
漆山陣屋と天童市にあります
高擶陣屋地区を飛び地領として
配慮したとされます。
その後、幕末の動乱の時代が始まり
新政府軍と旧幕府軍による
戊辰戦争が始まると漆山陣屋も
その歴史の渦に巻き込まれる事と
なります。
その歴史に付いてですが
浄土院さんの方で詳しく丁寧に
おもしろくまとめておりましたので
もっと多くの方に知って頂きたいので
ぜひこちらのサイトをご覧ください
以上、出羽地区の
歴史と史跡のご紹介でした。