どーもKABUOです。
2019年5月、GWの最中
カンボジアを旅して参りました
今回はアンコール遺跡から撤退し
プノンペンに遷都するまで
1618年~1866年まで
王都が置かれた古都ウドンに
行ってきた時の様子を
写真に収めましたので
歴史や史跡と共にご紹介します
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うどんの語源!? 古都ウドンに行ってきた話
アクセス方法
プノンペンからウドンまでは
片道 約40㎞もあります。
交通手段はバスかトゥクトゥクになりますが
バスですと4$程で行けるそうですが
バスの移動手段が分からなかったので
今回はトゥクトゥクをチャーターして
ウドンまで向かいました
今回Grabタクシーを使用した所
片道で約50000リエル掛かり
往復で10万リエル(25$)程
掛かってしまいました。
やはりトゥクトゥクだと
費用がかさみますので
バスで行ける方法を
ネットで探した方が良いかと思います。
入場料金
外国人がだと
入場料金2$徴収されますが
Grabタクシーで行ったせいなのか
現地人に間違われたらしく
僕は無料で入場する事が出来ました(笑)
僕の学生時代のアダ名が
マーク・ハントとかレイ・セフォーとか
日本人の顔立ちから離れていたので
こんなことで得をしてしまいました(*´∀`)♪
写真はウドンにあります英語名
フレッシュリーチトラップマウンテン。
山の上に王族が埋葬された
仏塔が建造されており
史跡の入り口前に傾斜がキツい男坂と
史跡から少し奥にあるのが
傾斜がなだらかな女坂に別れており
体力に応じて階段を登ってください
僕の場合はドライバーさんが
否応無く男坂の方に止めたので
男坂から509段のある階段を
登るはめになってしまいました。
( 。゚Д゚。)
まだ鎖国が行われなかった時代
このウドンの町並みにも
多くの日本人が渡来し
日本人町を形成したのですが
その際にカンボジアで見た麺料理を
そのまま日本に持ち込んだのが
うどんの発祥だとされる説があるそうで
確かにカンボジアの麺料理
美味しかったしその説も
十分説得力があるかも(* ̄∇ ̄*)
階段を登りきった所に
ありましたのがこちらの仏塔
寺院内は一部土足禁止の
エリアがあるので靴を仕舞える
バックがあると大変便利です。
アンコールに王都を持ち
東南アジア一帯を統治した
クメール王朝でしたが
15世紀頃から国内の内紛、
国内で水の確保が困難を極める、
アユタヤ王朝(タイ)の侵攻に晒さられ
国力が弱まるとアンコールの王都を
放棄し南部へと逃れました
南部に逃れ最初ロンベルグという
土地で遷都を行い国造りを始めますが
その後水害の多かったロンベルグは
放棄され現在のウドンに
遷都が行われ統治されたのが
ウドンの歴史の始まりとされます。
この時代のカンボジア国内は
強国であったタイやベトナムから
政治介入が頻繁に行われ国内は
多大な混乱により疲弊していきます
ベトナム南部にあるホーチミンや
メコン川流れるメコンデルタ一帯は
元々カンボジアの領土だったのですが
ベトナムがカンボジア政治介入する中
メコンデルタ一帯をベトナムの一部に
編入し領土が奪われてしまいます
またタイでもアンコール遺跡がある
カンボジア北西部を中心に領土を
広げていき更に奪われていきました
苦肉の策としてカンボジアでは
フランス政府に援軍を要請する
打開策を打ち立てましたが
その結果フランスの保護を取り付けましたが
カンボジアを含むラオス、ベトナムは
フランスの植民地支配を受けてしまい
その後ウドンからプノンペンに遷都され
現在のプノンペンの街が形成されて
行くことになります。
更にこの地に不運が起こり
ベトナム戦争の際には
秘密裏にカンボジアに爆撃を行った時
多くの寺院が崩壊され
またポル・ポトの時代の
内戦の最中寺院が破壊されるという
悲しい歴史がここウドンには残されていました。
このウドンに訪れる際は
アンコールを放棄して
フランスの植民地になるまでの
歴史ストーリーを知っておくと
更に深くウドンを楽しめると思います
以上
うどんの語源!?
古都ウドンとに行ってきた話でした。
場所はこちらになります
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