どーもKABUOです。
2019年5月、GWの最中
カンボジアを旅して参りました
今回は、クメール王朝の
王都が置かれたアンコール・トムを
ご紹介します。
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世界遺産アンコール・トムをご紹介!
アンコール・トムとは
大きな都市と言う意味を持ち
802年~1431年頃まで
当時の王朝、クメール王朝の
王都が置かれておりました
クメール王朝は
802年 ジャヤーヴァルマン2世が
インドネシアに王都を置いた
シャイレーンドラ朝から
独立を果たします。
それからシェリムアップから程近い
プノン・クレーンと言う所で
即位を果たしクメール王朝の歴史が
始まりました。
アンコール・トムの場所は
こちらになります。
バイヨン寺院
アンコール・トムに入場して
まず最初に現れる広大な遺跡は
バイヨンと呼ばれる寺院で、
バイヨンとはクメール語で
美しい塔と言う意味を持つ
ヒンドゥー教と仏教を混合させた
寺院になります。
シェリムアップ周辺に
王都を築き勢力を拡大、
南東はタイからマレーシア北部
北西はラオスからベトナムの
ホーチミンからメコン川南部まで
東南アジア一帯に領土を広げました
世襲制を行わないという
独特の王位継承システムを
採用していた為、
王位継承を巡る争いが起こり
王位継承の後、
王の権力見せつけるかのように
多くの寺院が建造されます
その時、王の信じる宗教が
ヒンドゥー教であったり
仏教であったりと様々であった為、
ヒンドゥー教の寺院を建造したり
仏教の寺院を建造したり
はたまたヒンドゥー教。仏教とを
混合して寺院が建造される等、
様々な様式の寺院が建造されました
889年に即位したヤショヴァルマン1世は、現在の東バライとアンコール・トムの南半分を含む地域に王都ヤショダラプラを建設した[1]。その後ヤショダラプラは一旦放棄されるが、944年に即位したラジェンドラヴァルマン2世は再びアンコールに遷都し、東バライの南にプレループ寺院を建設した。1006年に即位したスーリヤヴァルマン1世は、現在のアンコール・トムとほぼ同じ位置に新王宮と護国寺院ピミアナカスを建て、西バライを建設した[1]。 12世紀後半、ジャヤーヴァルマン7世により現在のアンコール・トムが建設されたといわれている。
(Wikipedia引用)
様々な王が生まれた為、
王都も度々遷都されていきましたが
12世紀後半に
ジャヤーヴァルマン7世によって
現在のアンコール・トムが建設され
王朝の最盛期を迎える事となります。
バプーオン
しかし度重なる権力闘争や
中国、フビライ・ハンの
モンゴル帝国による侵攻で
徐々に国力を落としていきます。
13世紀に入りますと
タイのラーンナー王国や
スコータイ王国が
クメール王朝から独立を果たし、
1351年
アユタヤ王朝が建国されると
クメール王朝に侵攻を重ね
1431年
アンコール・トムが陥落し
クメール王朝が没落する事となり
首都プノンペンから程近い
ロンベルグやウドンという所に
遷都を繰り返し、
その後、タイやベトナムと言った
強国から政治干渉を受けざる得ない
暗いカンボジア暗黒時代へと
呼ばれる歴史に突入します。
像のテラス
簡単にこの広大な都市が
陥落した理由としてひとつは
アンコール・トムを中心に
王国を作った際、
各地へと向かうことが出来る
道路の建設が行われましたが
交通に利便性が出た反面、
用意に隣国から攻め混む事が
出来るという失敗をおかした事、
ふたつめに
容易に水が確保が出来なくなり
水不足に陥ってしま事から
アンコール・トムを
捨てたとされる説があります。
ピミアナカス
今回訪れるにあたり
気づいた事ですが、
遺跡巡り確かに面白いのですが
全部同じような遺跡に見えてしまい
歴史を勉強しておかないと
直ぐに遺跡巡りが飽きてしまいます。
その為、
事前に資料で勉強しておくか、
日本語ガイド同伴のツアーに
参加することをお勧めします。
暑さ対策もバッチリおこなって
楽しく旅行を楽しんで下さい
以上、アンコール・トムの
ご紹介でした。
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