どーもKABUOです
2018年5月
中国北京を旅行にいった際の
記録をご紹介しています。
前回の記事はこちらです
今回は、1860年に起こった
アロー戦争(第二次アヘン戦争)で
略奪と破壊を受けて
荒廃し廃墟となった円明園に
観光した時の様子をご紹介します。
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アロー戦争で略奪と破壊され荒廃した円明園に行った話
円明園は清の時代、第四代皇帝
康熙帝(こうきてい)によって
明の時代に内乱で荒廃し
庭園となっていた皇族の離宮を
再建したのが始まりだとされます
ありし頃の円明園の様子
最終的には150年という
長い年月をかけ代々の皇帝によって
引き継ぎ再建され
当時周囲20㎞ほどの広さを持ち
前回の世界遺産、頤和園にも
負けじと劣らない
大庭園でありました。
こちらは当時の規模がわかる
ミニチュアサイズのジオラマで
広大な敷地に人工池や寺院’を造営し
当時の清の国力を伺えます。
庭園内には中華式問わずに
当時中国に訪れていた
イエズス会宣教師も
設計に関わった事により
バロック様式の洋風建築も
庭園に築きあげられ
現在もその建築物が一部残っており
当時の様子を垣間見る事が出来ます。
しかし先程紹介しました
様式の建造物以外の
史跡は残っておらず
徹底的にイギリスとフランス軍の
連合軍によって略奪と破壊を受けました
一説には清朝の権威失墜を狙った
意図的な工作だとされており
略奪後は放火が始まり
広大な庭園の殆どが荒廃しました
1984年に史跡公園に整備された後、
現在は中国では200億円をかけ
一部の復興事業を進めており
略奪された宝物を回収し
ありし頃の円明園を復活させる
プロジェクトを進行しているそうです
敷地の半分が更地でしたので
洋風建築以外、見る所が殆ど無く
入り口を間違えると
本当にただ歩いて疲れるだけですので
観光する際は入り口する場所を
慎重に検討する事をおすすめします
以上円明園のご紹介でした
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