どーもKABUOです。
2018年8月
津軽地方の歴史と史跡、
観光スポット巡りの旅を行いました
今回ご紹介するのは
青森県平川市にあります
碇ヶ関地区の温泉街や
歴史や史跡をご紹介します。
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碇ヶ関地区の歴史と史跡をご紹介!♨️
碇ヶ関駅
碇ヶ関地区の歴史ですが
碇ヶ関地区には碇ヶ関村という
自治体がありましたが
2006年南津軽郡
平賀町、 尾上町と合併し
平川市が発足し碇ヶ関村は
消失しました。
平賀、尾上地区の歴史と史跡は
こちらの記事で紹介しています
碇ヶ関御関所跡
碇ヶ関の地名の由来ですが
かつては「嗔の関(いかりのせき)」と書きました。ここは、岩木川の支流平(ひら)川の上流域にあたり、大部分が山地でその間の小盆地に集落がありました。ここではよく洪水が起き、これを”水の怒り”すなわち「嗔(いかり)」と称したと1うことです。
天文十二年(一五四三年)この里に、後に「厳重なること、箱根の御番所などの及ぶ事にあらず」(古川古松軒「東遊雑記」)とまでいわれた関所が置かれ「嗔の関」と呼ばれました。これが転訛して「碇ヶ関」となったようで
(碇ヶ関駅案内板引用)
案内板に書かれていた関所跡がこちらで
道の駅いかりがせきに併設されております
関所資料館
津軽為信:天正十五年、(西暦千五百八十六年)秋田比内の浅利氏を攻め、帰陣する時に、関所を設けた。
津軽為信が関所を設けし時碇ヶ関と村名する、後の四代信正、町割を行い宿場町とする。
後年、幕府の巡検使に随行した記録には「厳重なること箱根の関所も及ばない」と記録されている。
(道の駅いかりがせきホームページ引用)
秋田県を結ぶ矢立峠と碇ヶ関の
間に設置された碇ヶ関関所跡
南部藩、秋田藩、津軽藩の
三つの藩が交わる要所であった為
かなり厳重に警備が行われたそうです
現在は歴史資料館として
公開されており写真のように
蝋人形で作られた関所の代官や
当時の様子が分かる資料が
展示されておりました。
碇ヶ関の歴史が分かる
貴重なスポットです。
古懸山不動院国上寺
津軽三不動の一つに数えられるここの不動明王像は座っている姿から「ねまり不動」とも呼ばれています。酉年生まれの一代守り本尊としても多くの人に信仰されています。
( 青森県観光情報サイト引用)
国上寺は聖徳太子の命によって
建造されたと伝わっており
黒石市の長谷沢神社と中野神社と合わせ
津軽三不動の一つに数えられ
一日で3ヶ所廻ればご利益があり
多くの参拝者が訪れております。
碇ヶ関温泉
碇ヶ関は温泉が湧く宿場町として
栄えた歴史を持っており津軽のお殿様も
大変お気に召したそうで
そのうち独占したいという
欲にかられたお殿様は
「あそこの温泉は効能がないから
行かなくていいぞ」と吹聴しろと
家来や家臣に命令をしたそうです(笑)
現在では少し寂しい温泉街の
印象を受けましたがあまり混まないため
ゆっくりと体を休める事が出来ます
以上
碇ヶ関地区の歴史と史跡の
ご紹介でした
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