どーもKABUOです。
津軽地方の歴史と史跡、
観光スポット巡りの
旅を行っておりました。
今回は、青森県大鰐町の
歴史や史跡をご紹介します。
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大鰐町の歴史と史跡をご紹介!♨️
大鰐駅
青森県大鰐町は
温泉が涌き出る温泉街でもあり
江戸時代の頃には羽州街道の
宿場町として栄えました
地名の由来は
大鰐の地名は、はるか昔、大きな阿弥陀如来像があることから大阿弥陀と呼ばれていたが、大阿弥・大阿尓(おおあみ:大きな阿弥陀仏)が大阿子(おおあね)となり、室町時代を経て、大安国寺(おおあに)、大姉(アネ=アイヌ語で森林がある谷間)と変化し、大浦為信の津軽統一以降は、「大鰐」(大きな山椒魚(サンショウウオ)=鰐が棲んでいた伝説がある)と記されるようになったと伝えられています。
大鰐町は津軽地方でも仏教の伝来は早く、国の重要文化財の指定を受ける大日如来像が祀られ、地方の信仰を集めていました。江戸時代には大鰐と称されています
(大鰐町ホームページ引用)
大鰐と言う地名から
鰐に関係してあるのかと
思いきやそんなことは
無いんですね(*゚Д゚*)
しかし駅前にはワニを型どった
マスコットキャラクターが
旅行客をお出迎えします。
温泉街らしく駅前には足湯が
設置されておりました。
またこちらの温泉を利用した
もやしの栽培が盛んに行われており
大鰐もやしは町の特産物に
なっております。
大鰐もやしを使ったご当地ラーメンが
有名でこちらの記事で紹介しました
ぜひご覧ください
温泉街ですので
もちろん日帰り温泉も可能。
古い味のある公衆浴場や
新しい綺麗な温泉施設
色々と並んでおりました
様々な温泉施設を
はしごしたいです
こちらが大鰐町の町並みです。
地区の小学校が閉校するなど
人工が年々減少しており
寂しい町並みをしておりました( 。゚Д゚。)
バブル期にはスキー場もあった事から
多くの観光客で賑わいを
見せていたそうですが
バブル崩壊後は多額の債務が出て
町の財政が圧迫される事となり、
僕も地方都市に住む人間として
他人事には思えない出来事です。
次に大鰐町の
史跡をご紹介してまいります。
湯魂石薬師堂
文禄2年(1593)津軽藩を開いた津軽為信公が眼病にかかり、「大鰐の湯で目を洗えば治る」という薬師如来のお告げを夢に見て、大きな石の下から湧き出る熱湯を発見したと伝えられています。為信は感謝の意を込め、この大石の上に祠を建立し「湯魂石薬師堂」と名付けました。
現在は足湯が併設され、老若男女問わず人気スポットの一つとなっています。
( 青森県観光情報サイト引用)
ワニを型どった石像から
温泉が流れております。
神岡山 大円寺
大円寺(大鰐町蔵館、高野山真言宗大圓寺)は、津軽では「大鰐の大日様」として篤い信仰を集める名所です。
大円寺の起源は、奈良時代、聖武天皇の国分寺建立に際し、本尊大日如来を阿闍羅山の大安国寺に安置したことに始まります。後に大安国寺は荒廃し、鎌倉時代建久2年(1191)、阿闍羅山千坊(せんぼう)と称された「高伯寺」(円智上人建立)に移奉されました。
慶安3年(1650)、津軽三代藩主・信義が鷹の病気平癒を祈願したところ、病は治り、これを喜んだ信義は、本尊を京都で補修させ、同年に御堂を現在の場所(大円寺のある場所)に建立、「神岡山(じんごうざん)高伯寺」と号し、高伯寺と本尊を移安。以来、津軽家代々の崇敬を受け、江戸時代末期まで「大日様」として信仰を集めてきました。
明治4年(1871)、神仏分離の際、弘前市から大円寺が移り、高伯寺の名は姿を消すことになります。
(大鰐町ホームページ引用)
大鰐町は津軽地方では
いち早く仏教の伝来が来たとされ
こちらの大円寺で祀られている
大日如来は国の文化財にも
指定されている貴重な史跡に
なっております。
大鰐町に観光の際には
温泉街や史跡巡りを
楽しんでください
以上大鰐町の紹介でした
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