どーもKABUOです。
青森県津軽地方の歴史と史跡、
観光スポット巡りの旅に行って来ました
今回ごは青森県青森市にあります
油川地区と新城地区の歴史と史跡を
ご紹介します。
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油川地区と新城地区の歴史と史跡をご紹介!
油川駅
青森市油川地区。
古くは大浜とも呼ばれ
油川の地名の由来ですが
アイヌ語の「アブラ」
(枝状の川の低岸)であるとされます。
また菅江真澄は
「外が浜つたひ」の中で
水岸にうまれた鶴の子が野火に襲われ
助けようと飛来した母鶴と父鶴が
焼死するという伝承をとりあげて
「その鳥のあぶらの流たれば大浜の
又の名を油川といふなん」
と残しており
これが油川の地名の由来との
伝承が残されております
油川地区の町並み
油川地区は松前街道終点地で
ここから奥州街道や羽州街道へと
合流し江戸まで参勤交代や
荷物や人の往来が激しかった為
宿場町が形成された歴史を持つ町になり、
少し、宿場町の風情が
残っている印象を受けました。
町並みには
羽州街道と松前街道の
合流地を記念した
看板が建てられておりました。
油川漁港
油川は陸奥湾内の米の積出港や
北前船の寄港地として古くから栄え
一時津軽藩の命により
鎖港されますが物資の出入りが続き
街道の分岐点にあたることから
荷物や人々のの往来で賑わっており
商業活動はとだえることがなく
繁栄した歴史を持ちます。
油川城跡
南部氏家臣
奥瀬氏の居城であった油川城。
奥瀬氏は甲州譜代安芸本名小笠原が
十和田湖奥瀬に来て奥瀬を名乗った
ことから始まったとされ
戦国時代は奥瀬氏によって
油川は統治されますが
1585年
津軽為信による津軽統一の戦いの際
奥瀬氏は交戦もせずに
いち早く南部領に逃げ去り
油川城は廃城となります
現在は水田と農地に囲まれていますが
堀や土塁の跡が微かに残っておりました。
津軽為信の歴史と史跡を
紹介した記事はこちらです
浄満寺
こちらの浄満寺は
油川城主奥瀬氏の菩提寺で
津軽八十八ヶ所霊場
第20番礼所になります。
津軽新城駅と金峰神社
油川地区から新城地区へと到着です
新城地区も宿場町として
栄えた歴史を持った地区になります
照法寺
新城地区にあります照法寺
新城の地名の由来は不明ですが
この照法寺さんの境内には
その昔、新城というお城があり
地名とのかかわるといいます
はじめは橘次氏の居館で
のちに安東氏、さらに
新城孫次郎が拠ったという
新城氏は南部家家臣
浪岡城の北畠氏の配下でしたが
戦国末期に津軽統一を目指す
津軽為信によって攻撃され
落城した歴史を持ちます。
小高い丘に築城にされており
当時の面影が残っておりました。
以上、油川地区と新城地区の
歴史と史跡の紹介でした。
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こちらが今回のルートです。
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