KABUO原付CUBで激走。山形東北歴史・史跡・グルメ巡りの旅(時々海外も)

故郷山形を中心に東北各地の歴史や史跡、グルメなんかを読者の方々に詳しくご紹介出来ればと思います。

青森県青森市 油川地区と新城地区の歴史と史跡をご紹介!🏖️

どーもKABUOです。

 

 

青森県津軽地方の歴史と史跡、

観光スポット巡りの旅に行って来ました

今回ごは青森県青森市にあります

油川地区と新城地区の歴史と史跡を

ご紹介します。

 

 

 

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油川地区と新城地区の歴史と史跡をご紹介!

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油川駅

 

青森市油川地区。

 

古くは大浜とも呼ばれ

油川の地名の由来ですが

アイヌ語の「アブラ」

(枝状の川の低岸)であるとされます。

 

また菅江真澄は

「外が浜つたひ」の中で

水岸にうまれた鶴の子が野火に襲われ

助けようと飛来した母鶴と父鶴が

焼死するという伝承をとりあげて

「その鳥のあぶらの流たれば大浜の

又の名を油川といふなん」

と残しており

これが油川の地名の由来との

伝承が残されております

 

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油川地区の町並み

 

油川地区は松前街道終点地で

ここから奥州街道や羽州街道へと

合流し江戸まで参勤交代や

荷物や人の往来が激しかった為

宿場町が形成された歴史を持つ町になり、

 少し、宿場町の風情が

残っている印象を受けました。

 

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町並みには

羽州街道と松前街道の

合流地を記念した

看板が建てられておりました。

 

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油川漁港

 

油川は陸奥湾内の米の積出港や

北前船の寄港地として古くから栄え

 

一時津軽藩の命により

鎖港されますが物資の出入りが続き

街道の分岐点にあたることから

荷物や人々のの往来で賑わっており

商業活動はとだえることがなく

繁栄した歴史を持ちます。
 

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油川城跡

 

南部氏家臣

奥瀬氏の居城であった油川城。

 

奥瀬氏は甲州譜代安芸本名小笠原が

十和田湖奥瀬に来て奥瀬を名乗った

ことから始まったとされ

戦国時代は奥瀬氏によって

油川は統治されますが

 

 1585年

津軽為信による津軽統一の戦いの際

奥瀬氏は交戦もせずに

いち早く南部領に逃げ去り

油川城は廃城となります

 

現在は水田と農地に囲まれていますが

堀や土塁の跡が微かに残っておりました。

 

津軽為信の歴史と史跡を

紹介した記事はこちらです

www.yamagatakabuo.online

 

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浄満寺

 

こちらの浄満寺は

 油川城主奥瀬氏の菩提寺で

津軽八十八ヶ所霊場

第20番礼所になります。

 

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津軽新城駅と金峰神社

 

油川地区から新城地区へと到着です

 

新城地区も宿場町として

栄えた歴史を持った地区になります

 

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照法寺

新城地区にあります照法寺

 

 新城の地名の由来は不明ですが

この照法寺さんの境内には

その昔、新城というお城があり

地名とのかかわるといいます

 

はじめは橘次氏の居館で

のちに安東氏、さらに

新城孫次郎が拠ったという

 

新城氏は南部家家臣

浪岡城の北畠氏の配下でしたが

戦国末期に津軽統一を目指す

津軽為信によって攻撃され

落城した歴史を持ちます。

 

小高い丘に築城にされており

当時の面影が残っておりました。

 

以上、油川地区と新城地区の

歴史と史跡の紹介でした。

 

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こちらが今回のルートです。

 

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