どーもKABUOです。
青森県津軽地方の歴史と史跡、
観光スポット巡り旅に
行って来ました
今回ご紹介するのは
青森県外ヶ浜町三厩地区。
江戸時代には松前藩がこちらに
船で上陸し参勤交代が行われたり
岩手県衣川で死んだとされる
源義経伝説が残るこの町の
歴史や史跡をご紹介します。
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三厩地区の歴史や史跡をご紹介!🏖️
三厩駅
三厩地区は元々は三厩村と呼ばれる
村がありましたが2005年
蟹田町、平舘村と合併し
外ヶ浜町となり消滅します
こちらの三厩駅は
津軽地方最北端の駅と
紹介されていました。
蟹田、平舘地区の歴史と史跡は
こちらの記事で紹介しています
三厩地区の町並み
三厩の地名の由来ですが
郷土書などによると、三厩の名称は、義経伝説に由来するとも言われ、東北へと逃れた源義経が岩窟にいた3頭の駿馬を得て北海道へ渡ったという伝説に基づく地名とされている
(Wikipedia引用)
その他にもアイヌ語で
水駅(みずうまや)船着き場
という説があるそうです。
松前街道終点之碑
三厩地区は
当時は油川地区から今別町までしか
街道がありませんでしたが、
掘削工事を行いこちらの三厩地区まで
道沿いが伸び松前藩が参勤交代の際に
寄航した宿場町でもありました
写真の碑から松前街道が始まり
青森県青森市油川地区を通り
松前藩は参勤交代しました。
江戸時代にはアイヌ人の居住地があり
魚の漁の他に焼畑農業や
蝦夷との交易で生活したとされ
幕末頃になりますと
異国の船がやって来るようになると
台場を設置し北方の警護にあった
歴史がありました。
義経寺
義経伝説の残る三厩地区。
兄、頼朝に追われ奥州藤原氏を頼り
平泉に逃避行した義経ですが
頼朝の圧力に屈した藤原秦衡の奇襲に合い
衣川の戦いで破れ自害したとされます
しかし義経は秦衡の手により
自害したと見せかけて
逃避行をを手助けしたと
藤原氏の記録に残されており、
「危機が見に迫るような
ことがあったら館に火をかけ、
自刃を装って遠くの
蝦夷が島へ渡るべし」という
藤原秦衡の遺書が残っており
平泉を出た義経は十三湖から
三厩まで船で向かい津軽海峡を渡り
蝦夷に逃げ延びたと伝説が残っています
厩石
北海道を目前に荒れる津軽海峡に行く手を阻まれた義経主従。義経は岩に座り、守り神の小さな観音様に三日三晩祈り続けました。すると海は静まり、岩の洞穴に3頭の龍馬がつながれていました。一行はその龍馬に乗って無事に海を渡ることが出来、以来この岩を厩石、ここを三厩と呼ぶようになりました。
( 青森県観光情報サイト引用)
という伝説が残っており
祈ったとされる観音像は
現在義経寺に安置されております
義経伝説が残る三厩地区は
なかなか見所がある場所で
義経が好きな方は訪れる事を
おすすめします(* ̄∇ ̄*)
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