どーもKABUOです。
今回ご紹介しますのは
五所川原市にあります
旧金木町を中心に史跡や歴史
観光スポットを中心に
ご紹介出来ればと思います。
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金木町の歴史と史跡をご紹介!🏞️
金木駅
金木町は太宰治や吉幾三の
出身地として有名な町で
2005年、旧五所川原市との
市町村合併により新市政
五所川原市となりました
太宰治記念館「斜陽館」
日本を代表する文豪太宰治は
こちらの金木町の出身。
生家は現在でも残されており
太宰にまつわる書籍や資料が
展示されています。
斜陽館を紹介した記事は
こちらです
金木津軽三味線会館
津軽三味線
発祥の地とされる金木町
津軽三味線の楽曲の原型は、新潟地方の瞽女(ごぜ)の三味線と言われる。その他、北前船によって日本海側各地の音楽が津軽に伝わり、津軽民謡は独特の発達をみる。しかし、津軽地方においてはボサマと言われる男性視覚障害者の門付け芸として長く蔑まれていた。そのためもあり、津軽三味線の起源をたどることができる文献はごく僅かで、歴史に関してはおおむね口伝に依る。ただし、津軽三味線の歴史が浅いため、現在でも、古老の三味線奏者から、あくまで主観的なものではあれ、津軽三味線の起源について聞くこともできる。
大條によると、津軽三味線の始祖は、幕末に五所川原の金木地区に生まれたボサマ「仁太坊」(にたぼう)。それまで地味な門付け芸だった三味線音楽に革新的な奏法を取り入れ、津軽三味線の原型を築いたという。仁太坊と共に、黒川桃太郎や梅田豊月らが競い合いつつ、さらに時代がくだり、高橋竹山・白川軍八郎・木田林松栄らの演奏家が出るに及んで、津軽地方の三味線は他の三味線音楽とは全く異質な音楽として発達を遂げる。三味線も細棹ないし中棹から太棹に変化し、奏法も「叩き」を中心とする打楽器的な奏法が主流を占めた。
(Wikipedia引用)
その昔は
盲目の男性がその日生きるために
三味線芸を磨いた事から始まり
高橋竹山や多くの演奏家によって
基礎が築かれていき
現在は吉田兄弟等多くの
演者が誕生しております
こちらの金木津軽三味線会館では
津軽三味線の歴史を学ぶ事ができ
演者さんの生演奏が楽しめる
ライブステージが設置されています
僕も津軽三味線の生演奏を聞きに
足を運びましたが演奏は
終わってしまい中の展示物の
写真だけしか撮影出来ませんでした。
( 。゚Д゚。)
芦野公園
金木町民憩いの場所で
湖をもつ80haの自然公園で、
春には1500本の桜が咲き
日本さくら名所百選にも選ばれ
公園内には太宰治のモニュメントや
津軽三味線発祥の碑や動物公園も
完備されております
太宰治もこの公園に
訪れたのでしょうか?
桜の季節にもう一度
訪れてみたい場所です(* ̄∇ ̄*)
川倉賽の河原地蔵尊
死者の魂を呼び寄せるイタコ
イタコと言えば恐山が有名ですが
こちらの川倉賽の河原地蔵尊でも
旧暦の6月22日から24日までの
例大祭でイタコの口寄せが行わており
寺院内には2000体に及ぶ
お地蔵さまがズラリと並んでおります
夕暮れ過ぎに訪れたのですが
なにやら不気味な雰囲気が漂い
お地蔵さま一体一体から
ジロ~と覗かれているようで
凄く気持ちが悪かったです
( 。゚Д゚。)
次回、太宰治の生家が残る
観光スポット「斜陽館」を
メインにご紹介します。
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