どーもKABUOです。
今回は古い街道を通りながら
藤崎町から五所川原市にあります
持子沢~飯詰地区までの
歴史や史跡をご紹介出来ればと思います。
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浪岡北畠氏に支城の歴史と史跡
滝井館跡(古館城跡)
藤崎城を居城にし津軽地方一帯を
統治した安東氏でしたが
八戸を本拠地にしていた南部氏の
進軍により安東氏が破れ以後、
津軽地方は南部氏によって
統治されることになります。
津軽地方を治めた南部氏は
客将でありました浪岡北畠氏に
津軽地方の統治を任せ
15世紀後半に浪岡北畠氏は
現在の青森市浪岡町に浪岡城を築城させ
津軽地方の支配を進めたとされます
その為、この下之切通沿いには
浪岡北畠氏の史跡が多く
こちらの板柳町滝井地区にあります
滝井館跡は浪岡城主、北畠具運の
弟顕範によって浪岡城の西方の守りを
固める為に築城されたとされます。
三宅館跡
板柳町五林平にありますこちらは
浪岡氏重臣三宅氏によって
築城された三宅館跡です
この地は東通りの中継地点として
また近くを流れる十川の水上交通の
要所の地であった歴史があるそうです。
八幡宮(原子城跡)
戦国期からあったとされる
こちらの原子地区。
地区内にあります八幡宮は
原子城跡地になりまして
浪岡城重臣原子しによって
築城されたとされます
神社を散策しましたが
特に史跡の情報が無く
詳しい情報を得る事が
出来ませんでした。
高楯城址 (飯詰城)
五所川原市飯詰にあります
こちらのお城跡
津軽地方一帯を統治した
浪岡北畠氏でしたが
南部氏一族同士の争いに乗じ
大浦為信(津軽為信)が謀反をお越し
1578年
浪岡北畠氏を攻め滅ぼします。
しかし
浪岡北畠氏の重臣、朝日行安は
高楯城で最後まで大浦氏に
激しく抵抗しましたが
1588年
徹底抗戦も虚しく落城となりました。
その他今回ご紹介したお城跡も
大浦為信によって攻め滅ぼされ落城し
あるもの大浦氏の家臣として
召し抱えられたものや
土着し帰農した者もいたそうです。
下之切通を通り
持子沢から飯詰地区巡りましたが
浪岡北畠氏関連の史跡を巡り
戦国期の津軽地方の歴史の
成り立ちが垣間見る事が出来ました
なかなかマニアックな話題ですが
戦国時代ファンや歴史好きには
オススメスポットです
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