KABUO原付CUBで激走。山形東北歴史・史跡・グルメ巡りの旅(時々海外も)

故郷山形を中心に東北各地の歴史や史跡、グルメなんかを読者の方々に詳しくご紹介出来ればと思います。

山形市 落合地区と二口街道の歴史 二口街道を行く

どーもKABUOです

 

山形県山形市と宮城県仙台市を結ぶ

街道をいくつかありますが

今回は、山形市銅町から 

二口橋を通り山形市風間から

山寺、そして高瀬地区に分かれ

仙台の城下町に通じていた

二口街道の調査を行いましたので

落合や高瀬地区等の歴史や史跡と共に

ご紹介できればと思います。

 

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落合地区と二口街道の歴史

 

 

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 二口橋

 

二口街道は仙台と山形を

最短で結ぶルートとなっており

山寺地区から向かう山伏峠と

高瀬地区から向かう清水峠を越え

仙台城下町に入ります

 

街道の名前の由来は

仙台から山形に向かう藩境の途中、

二つに道が分かれていることから

二口街道の名前の由来となっており、

 

仙台藩と山形藩の物資の往来があった

歴史のある街道です。

 

山形からの起点はこちらの

二口橋からとなっており

馬見ヶ崎の川原沿いでは

芋煮をして楽しんでいる

学生さんや家族を見かけます。

 

しかしその歴史は

馬見ヶ崎の河川敷流域は

山形藩の処刑場として使用された

暗い歴史があった場所です。

 

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延命地蔵菩薩

 

1758年に建立

昔、子供が夜泣きをして困ったとき

この地蔵さまにお詣りすれば治るので

いつしか夜泣き地蔵尊とよばれ

信仰されるようになりました。

 

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落合地区

 

落合の地名の由来は

大川堰と野呂川が当地で

合流することに由来しております。

 

大野目地区の開発により

周辺一帯は新しい町並みに

変わりましたが

二口街道沿いの落合地区には

昔ながらの古い町並みが残っており

 

羽州街道が整備される以前は

この落合地区を通って

山形から天童へと向かう

羽州大道と呼ばれる

古い街道ありました。

 

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遺跡 八貫橋

 

大野目温泉近くにあります

こちらの史跡

 

山寺石を使用した橋であったが

野呂川の度重なる洪水によって流され

現在の橋に至っています。

 

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山形流通団地

 

先程の八貫橋を渡ると

到着します山形流通団地、

1970年代頃から開発され

食品や運送等の山形の

物流を支える会社が並んでおります。

 

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風間の六面童

 

そんな開発された流通団地の前に

ひっそりとたたずむこちらの史跡

 

街道沿いの交通安全を祈願した

室町時代に造立した地蔵菩薩で

山形市指定有形文化財になっております。

 

ここから二口街道を通り

山形市風間に入りますが

現在は国道13号線による

バイパスの造設により

道を迂回しなければなりません

 

山形市風間地区の歴史は

こちらでまとめています

 

www.yamagatakabuo.online

 

風間地区に入ったのち

二口街道は分かれ

山寺、高瀬地区に進みます。

 

以上、

落合地区と二口街道の歴史でした。

 

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こちらが今回のルートになります

 

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