どーもKABUOです。
国分寺薬師堂から山寺を結ぶ
山寺街道の歴史を調べておりまして
今回は山寺街道途中にあります
山形市山家地区の歴史や史跡を
調査しましたのでご紹介します
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山家城と金勝寺の歴史と史跡
山家城趾
国道13号線道沿い近くにあります
ヤマザワ大野目店裏手の小高い丘、
足利尊氏と後醍醐天皇が
南北に朝廷が入り乱れた南北朝の時代、
山家信彦によって築城されたとされる
山家城、別名高原城の史跡が
残っております。
同時期最上家の始祖、
斯波兼頼が山形に入部、
斯波氏は足利派の北朝
山家氏は後醍醐天皇はの南朝に属し
両者は激しく争ったとされます
山家城 見はらし台
しかしその後
斯波兼頼は娘と山家信彦の
婚儀をまとめ和議が成立しますが
兼頼の跡を継いだ最上直家は
山形城に信彦を招き諜殺し
信彦の遺児、家信を養子に招き
山家氏の家督を継がせ
支配下に治めました
山家氏は斯波氏、のちの最上氏の
重臣として山家地区一帯を治め
名前を山家河内守と名乗り
最上義光の死の際には
殉死した4人の中の一人とされ
光禅寺に義光と共にお墓が並んでおります。
その後、
最上家が改易された後
山家城も破却されました
現在
山家城は遊歩道が整備され
当時の石垣も残っており
こちらの見はらし台から
国道13号バイパス線沿いの
町並みが一望できるように
なっておりました。
黒瀧山 如意大満虚空蔵尊
山家虚空蔵堂
大野目から山家地区にかけ
山家氏が創建させたとされる
寺院や神社も数多く残っております
金勝寺
山家城近くにあります金勝寺
1340年、夢窓国師によって開山
一説には以前当地を支配していた
山家氏の菩提寺の建正寺が
金勝寺も全身とされる伝承が残っており
当初は臨済宗の寺院でしたが
1533年曹洞宗に改宗し
山家地域を含め周辺地域に
関連した史跡が残ってる等、
地域に多大な影響を残した
寺院になります
最上直家の墓
金勝寺は最上直家の菩提寺で
五輪塔のお墓が境内に残っており
直家の息子、
満直は父の菩提を供養するため
寺院境内の整備をしたとされます。
以上、山家城と金勝寺の歴史でした
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