どーもKABUOです。
山形市からスタートしました
山寺街道の続きになります
前回の記事はこちらになります
今回は、山形護国神社から
馬見ヶ崎橋を渡り
印役町ち双月町を中心に
歴史や史跡を
ご紹介出来ればと思います。
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印役町、双月町の歴史と史跡
馬見ヶ崎川
1934年
山形護国神社前と印役、双月町を
結ぶ馬見ヶ崎橋が完成されました
馬見ヶ崎橋が無かった頃は
吉田カメラ店本店前にあります
二口橋しか渡れる橋が無かったそうで
橋が完成したことによって
印役町や双月町までの交通は
便利になったそうです。
長谷川利助翁の碑
馬見ヶ崎橋を渡ると印役町にあります
こちらの碑に到着します。
こちらの長谷川利助は
馬見ヶ崎川の堤防工事や
用水路の建設、山寺街道の整備を
行ったとされる人物です。
双月計垂松石塔群
申洪水碑 蔵王山
馬見ヶ崎川は豊富な水量を誇り
周辺地域の飲料や田畑に恩恵を
もたらしましたが
ひとたび河川が増水すれば
周辺地域を飲み込む大洪水が
頻繁に起こった歴史があり
印役、双月町周辺には
供養碑があちらこちらに
建っております
秀鳳酒造場
フジ味噌醤油
県道19号線
山寺街道に沿って町を歩くと
酒造場や醤油、味噌を製造販売する
醸造所をよく目にします。
1622年
最上家が改易され
鳥居忠政が山形に入部。
同じ時期に馬見ヶ崎川の
氾濫が立て続けに起こり
盃山を削り埋め立てを行う等の
馬見ヶ崎川の大規模な
河川工事が行われた歴史があります。
印役町や双月町周辺は
元々は馬見ヶ崎川による
豊富な源泉を使用した田畑や
農地が広がっていたとされますが
馬見ヶ崎川の埋め立て工事の
影響により水脈が変わり
田畑が衰退していきます
その後、
影響を受けた周辺地域一帯に
第二次産業を勧める支援を行い
印役、山家は味噌、麹等の醸造所
大野目は和傘、双月は紙すきの
製造が盛んに行われるようになり
そのためこの地域には
醸造所が多いとされる
理由となっています。
印鑰神明宮
(公式ホームページリンク)
印役町にあります
古い歴史を持つ神社です。
由緒はこちらになります
當神明宮は聖武道皇の天平9年(737年)9月29日東方朝臣が創建したしました。その折り畳み伊勢内宮の中臣乙女となる人から秘密の銀鑰(銀の鍵)を授けました。東人朝臣は、この銀の鑰を旗竿の先につけて進軍したころ何処での戦でも勝利をおさめ目的を達成して、この東北に平和を招来することができました。その神恩に感謝してこの銀鑰を祀って神社を創建されたのが刻印鑰神明宮でありますこれ以来この地方の鎮守の神として尊崇されてきまったくその地を印鑰村と是認後に印役村と書類みたいになってしまった。當神明宮附近から土師器・須恵器更に蕨手刀等も出土し、学会ではいとれも同時に元代のものと認められております。後に山形城主最上義光は古禮を修めて印祭を 興黒印を下附しました。それが慶安元年(1648)になって江戸幕府から35万石の御朱印を老りの後安永9年8月1日より創建七千年祭りを遂行、7日間も盛大に舞楽興行をしました。
(公式ホームページ引用)
またこちらの神社の敷地内に
内城と呼ばれるお城があったとされ
詳しい歴史は不明ですが
戦略的に重要な地点だった思われます
以上、印役町と双月町の
歴史と史跡の紹介でした。
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