KABUO原付CUBで激走。山形東北歴史・史跡・グルメ巡りの旅(時々海外も)

故郷山形を中心に東北各地の歴史や史跡、グルメなんかを読者の方々に詳しくご紹介出来ればと思います。

山形市 国分寺薬師堂と六日町周辺の歴史と史跡 山寺街道を行く

どーもKABUOです。

 

山形市の国分寺薬師堂から

馬見ヶ崎橋を渡り、

印役町、 双月町、山家地区を

中心に史跡や神社仏閣等の

歴史を調査しましたので

ご紹介していきます

 

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国分寺薬師堂と六日町の歴史と史跡

 

薬師堂から印役町を抜ける

県道19号線。

そして楯山地区、風間地区を抜け

山寺、立石寺まで通じており

山寺街道と呼ばれておりました

 

以前、天童市から山寺まで通じる

山寺街道を調査したことがありましたが

今回は、山形市から経由して

山寺、立石寺を目指すルートにあります

史跡や神社仏閣、歴史等を言及し

地域に興味や愛着を持って

頂ければ幸いです。

 

天童市からの山寺街道の

記事はこちらになります。

 

www.yamagatakabuo.online

 

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山寺街道の分岐点

 

山形市から山寺に向かう訳ですが

山寺街道の分岐点となる場所は

文翔館前を通る国道112号線

そして県道22号線にあります

旧羽州街道に沿って進むと

したら輪転とマル栄武田酒店が見える

十字路が見えてきます。

 

そのまま県道22号線に沿って進むと

山形市立第三小学校に到着し

宮町や銅町方面へと進みますが

十字路を薬師町方面に向かうのが

山寺街道の分岐点になります。

 

最近では薬師町周辺は再開発が進み

KABUOが子供の頃に見た

昔の面影がほとんど残っておりませんが

まつざかやさん等の

味のあるお店も残っておりました

 

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小豆地蔵尊

 

ここで少し山形市六日町周辺を探索

 

極楽寺にあります小豆地蔵尊

その由来は

明治のはじめ、森谷善四郎という剣客が地蔵の前で餅屋を開店した。
地蔵さまは小豆餅が大好きだというので、参詣する人たちがこの餅屋で小豆餅を買って供えたので、いつの頃からか小豆餅地蔵というようになった。 

(やまがた観光大図鑑引用)

 

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熊野神社

 

極楽寺から東に進むと

熊野神社が見えてきます

 

元々は行蔵院と呼ばれるお寺で

最上家始祖、斯波兼頼が

山形城の城内に建造した事が始まり

山形藩3代目当主、最上義俊の時代に

山形城の鬼門にあたる現在地に移し

鎮座したと伝わっております

 

明治時代の、廃仏棄釈により

現在の熊野神社へと名前を変え

現在にいたっております

 

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御神木 夫婦欅

 

神社境内にありますこちらの夫婦欅は

縁結びに大変ご利益があるそうです。

 

 

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遍成廃寺 鴻の池跡

 

斯波兼頼から行蔵院を任された

道覚という男がいたそうで、

 

道覚は隠居寺として

遍成寺を建造しこの境内に

鴻の池を建造したとされます

 

明治の始め遍成寺は廃寺となり

姿形は無くなってしまいましたが

その名残が史跡として残っております

 

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勢至堂

 

遍成寺境内にあったとされ

本堂には勢至菩薩が安置されており

山形大火の際にお堂が焼失しましたが

門だけが残ったと伝わっております

 

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千歳園跡 山形東高校

 

明治の始め、

山形県初代県知事

三島通庸により造園された

庭園が山形東高校前にあったそうです

 

当時としては珍しい

池の中に噴水があったそうで

当時の人々は園内で

遊戯を楽しんだと記録されています

 

その後、農業試験場へと変わり

千歳園は現在の国分寺薬師堂へ

移されます。

 

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出羽国分寺薬師堂

 

www.kankou.yamagata.yamagata.jp

(山形市観光協会ホームページ)

 

創建の歴史は古く、

聖武天皇の勅命により

全国に国分寺と国分尼寺を

創建したのが始まりで

始めは、秋田県秋田市にあります

秋田城の近くにあったとされるが

いつどの時期に

現在地に移されたのかが

不明だとされています。

 

諸説には

山形に入部した斯波兼頼が

庄内地方からこの地に移した説や

最上義光が建造したとの説が

あるそうですが定かではないです

 

明治の始め頃、

まだ文翔館が無かった頃

始めて山形の県議会が

この薬師堂で行われた歴史があり

 

明治44年、

山形市大火により本堂が焼失、

翌年、東原町もみじ公園にありました

宝幢寺の本堂をこちらに移し

再建し現在に至ります。

 

山形市民にはお薬師様と慕われ

毎年、5月8日~10日には

植木市が開催されております

 

植木市にも深い歴史がありますが

お祭りがあった際に

写真と共にまたご紹介します

 

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薬師堂境内にあります

現在も千歳公園と呼ばれ市民の

憩いの場所となっております

こちらが先程紹介した

千歳園の移転した現在の姿です。

 

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宮町堰

 

薬師堂の前に流れる宮町堰

 

最上家改易後、

山形に入部した鳥居忠政の時代

馬見ヶ崎川の氾濫が度重なり

当時は、薬師町から山形城北高校前を

河川が流れておりましたが

河川の埋め立て工事を行ったとされ

その後、造られた堰になります。

 

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山交バス停留所前

 

現在、緑町と呼ばれる場所ですが

少し上の世代の方と話しますと

「埋め立て」という地名で

話される方がおります

 

読んで字のごとく

馬見ヶ崎川の河川を埋め立て

平地に現在の様な

住宅が立ち並んだ歴史ある

土地柄になります。

 

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山形県護国神社

 

yamagataken-gokokujinja.jp

 (公式ホームページリンク)

 

こちらの神社の由緒は

明治2年旧薩州藩大砲長、久永竜助以下十名の国事殉難の士慰霊のため創立する。同8年官祭山形招魂社と称する。山形市八日町に社殿を造営し、戊辰戦争、西南の役の戦没者を合祀する。同21年山形市宮町に遷座するが、同44年山形市大火の際社殿焼失する。
 大正2年山形市薬師町に社殿を造営する。同7年、日清戦争、霧社事件、日露戦争、日獨戦争の戦没者を合祀する。
 昭和8年山形県招魂社と改称し、同9年現在地に社殿を造営する。同10年満州事変の戦没者を合祀する。昭和14年山形県護国神社と改称する。
 昭和21年宗教法人法山形県護国神社となる。明治維新より大東亜戦争迄の戦没者四万八百四十五柱の英霊を奉斎する。
(公式ホームページ引用
 
春の季節、参道には

見事な桜が咲き誇ります。

 

六日町から薬師堂にかけ

今回は、調査しましたが

 

文翔館、県庁が近かった為か

明治時代に行われた

廃仏棄釈の影響を多く受けた

寺院が目立つ印象を受けました。

 

日本の近代化により習慣や文化が

多く変質した地域だったのかも

しれないですね。

 

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今回のルートになります

 

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