どーもKABUOです。
山形県尾花沢市の歴史と史跡を巡る
旅に行ってきました。
今回は尾花沢から宮城県を結んだ古道
軽井沢越最上街道の歴史を中心に
廃村となりました上ノ畑集落の
現在の様子をご紹介します。
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廃村集落!上ノ畑地区と軽井沢越最上街道の歴史をご紹介!
まずは軽井沢越最上街道の
歴史に付いてご紹介します。
軽井沢越最上街道は宮城県大和町吉岡より
大衡村、加美町を通り山形県尾花沢市
上ノ畑・延沢・尾花沢を結ぶ
昔の街道になります
737年、出羽国雄勝の蝦夷を討った
大野東人によって多賀城から出羽国を通る
軍道として軽井沢越最上街道が
開かれたのが始まりとされ、
戦国時代に延沢銀山が発見されると
銀や必要物資の搬出入路として
利用されました。
延宝年間(1673~1681年)
延沢銀山の銀が枯渇し
山は廃山してしまいましたが
その後、最上川舟運の整備によって、
大石田経由で上方物(古着、木綿等)や
松前物(海産物)が軽井沢峠を越えて
仙台領に運び込まれ、また出羽三山の
参詣道としてにぎわいました。
(東北の街道道の文化史いまむかし引用)
また1689年、
奥の細道で有名な俳人松尾芭蕉は
岩出山に宿泊した際
軽井沢最上街道を越え尾花沢・大石田から
庄内に向かうため乗船する予定でしたが
「道遠く難所ある故」と道を避け
中山越出羽街道に変更した事を記した
弟子曽良日記が残されております。
尾花沢銀山温泉から上ノ畑旧集落より
先に進みますと
旧軽井沢越最上街道の古道へと続き、
宮城県加美町漆沢まで向かう街道沿いには
多くの史跡跡が残されております。
旧上ノ畑集落跡
今回調査に向かった尾花沢市銀山温泉より
先にあります上ノ畑地区は、
軽井沢越最上街道の宿場が形成され
番所も置かれたましたが、
宿場町としては規模が小さいため
隣の銀山温泉に宿場客が流れてしまい
たびたび地区同士の争いがありました。
1622年、江戸時代の頃
最上家が改易されると村山地方は
度々統治者が入れ替わり立ち代わる
混沌とした地域でありました。
1798年、東根市長瀞地区にに
米津通政が入部すると長瀞藩を立藩。
上ノ畑地区は長瀞領に編入。
長瀞藩は領地の開発や改革に取り組み
大阪より陶工長野徳兵衛を招いて
上ノ畑焼きを試みましたが
財政難の為わずか10年で廃窯となりますが
1970年、尾花沢市出身の陶芸家
伊藤瓢堂氏によって再興され
尾花沢市の伝統工芸品として
高く評価されております。
旧上ノ畑集落に訪れると
交易番所跡の史跡の他に
長野徳兵衛のお墓が残されております。
薬師寺上ノ畑観音
しかし明治時代の1892年
現在国道347号線を通る鍋越峠沿いの
道路を改修工事を行い
中羽前街道が開通すると街道は廃道。
廃道の煽りを受け上ノ畑集落も
人工現象に伴い徐々に衰退、
1967年、 全戸離村し廃村となりました。
こちらの薬師寺にあります上ノ畑観音は
この地を統治しておりました
豪族高橋信農によって上ノ畑集落に
建立されておりましたが
村が廃村となった経緯から
現在地に移転される事となり、
最上三十三観音24番札所でもあります。
上ノ畑集落廃墟跡
現在、上ノ畑集落は
住宅は朽ち果て人が住んでいた
形跡だけが残されており、
街道で栄えた面影は残されておりませんが
廃村独特の哀愁が漂いそれはそれで
見応えがありました。
時間がありましたら
宮城県側の調査も行いますので
その時はぜひまたこちらの記事を
鑑賞して頂ければうれしいです。
以上
廃村集落!上ノ畑地区と軽井沢越最上街道の
歴史をご紹介でした。
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尾花沢市の歴史と史跡
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