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どーもKABUOです。
前回の記事はこちらになります。
天安門を通ると
その先にあるのは
中国の歴代皇帝が住んだ
紫禁城に到着します。
現在は故宮と呼ばれており
中国の長い歴史を語るうえには
欠かせない場所でしょう!!
世界遺産にも登録されている
北京を代表するこのお城を
今回ご紹介できればと思います
世界遺産、紫禁城をご紹介
端門
天安門を抜けた後、
最初に端門に到着し
ここを抜けると受付がある
午門に到着します。
午門
紫禁城の正門になる午門です。
古代中国では午は南を指し
南の門という意味でもあります
受け付けカウンターがありますので
ここでパスポートと持ち物検査を受け
内部に入る事が出来ます
太和門
午門を抜けると次は
太和門に到着します。
紫禁城の創建は
南京を本拠地にした朱元璋は
14世紀頃にモンゴル人の
元朝を倒し、元朝は北に敗走し滅び
1368年、南京を首都とした
明を建国します。
その後、1403年
永楽亭が即位すると
北京を首都として定め
元朝時代の都に手を加えて
新しい皇宮を増設したのが
紫禁城の始まりです。
太和殿
ここ太和殿は紫禁城の中心で
政治や儀式の中心お行い
皇帝の即位や婚礼等も行っていました
明朝は栄華を極めておりましたが
しかし1644年
政治の腐敗と財政の悪化により
国力は衰退していき
新勢力であった後金との戦いに負け
明が滅亡し清朝が建国されます。
ちなみ明は日本とも関連が深く
豊臣秀吉の朝鮮出兵や
明滅亡の前には徳川幕府に対し
援助を求めた記録が
残っているそうです。
近くには見事な彫刻や装飾もあります
太和殿を抜けますと内廷と呼ばれる
皇帝一家の住居スペースに到着します
今、紫禁城に残っている
装飾の数々は清の時代に
建造されており、
明の時代にも負けない
輝かしい栄華を誇った
王朝にもある日陰りが見えます
19世紀に入ると社会秩序が混乱し
経済の停滞や社会の動乱が起こり
国力が低下していきます
乾清宮
ここは皇帝一家が寝室として
活用された部屋になります
1840年のイギリスとの
アヘン戦争を皮切りに
1856年第二次アヘン戦争に
敗北した清の王朝は
欧米の植民地として領土が
切り取られていく事となります
この記事を書きながら
ふと思ったのは
この時代の日本はまだ
幕末に差し掛かった頃で
この中国の植民地支配が
後の、明治維新の原動力となる
ターニングポイントとして見ると
当時、日本人が抱いた感覚が
よくわかります。
御花園
紫禁城抜けると最後に
中国庭園を楽しめる御花園に
到着です
日本庭園ではなかなか見られない
奇形の石を使った
築山を楽しむ事が出来ます
この奇怪な石がなかなか味が
あって奥深く中国庭園の
素晴らしさを感じます。
そして1894年
日本と清による
日清戦争が勃発し
日本が勝利を納めると
多額の賠償金により
清の国力がどん底まで落ち
さらにそこを狙った
欧米諸国が介入し
さらに領土が切り取られるほど
清王朝が末期に陥ります
神武門
紫禁城の出口です
清王朝末期になると
政治的閉塞感から各地で内乱が
立て続けに起き
そして1911年
孫文らによる辛亥革命によって
300年続いた清の王朝は
終わりを告げたのでした
紫禁城の数々の収蔵物はその後
国民党政府によって接収されますが
1945年中国共産党との内戦により
国民党が破れるとそのほとんどが
台湾に移されてしまい
台湾でしか見れなくなって
しまいました
そして
ラストエンペラーである
溥儀は辛亥革命後も王宮に
住むことは許されましたが
後に追い出されしまい
そして彼も数奇な運命に
翻弄されてしまします
溥儀については
また時間があるときに
記載したいと思います。
景山公園
神武門から北に向かって
すぐにこちらの景山公園に到着!
小高い丘となっていまして
頂上から紫禁城を見ることが出来ます
当初の予定では2時間位を目安に
観光が出来ると思っていたのですが
4時間も
時間がかかってしまいました(笑)
だって敷地面積が広すぎなんだもん( ´△`)
結構歩くので靴だけは動きやすい奴を
用意したほうがいいかもしれません
つづく
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