KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

天童市 戦国武将天童氏と天童城の歴史と史跡をご紹介!🏯

どーもKABUOです

 

山形県天童市にありますお城跡

天童城と戦国武将天童氏の

歴史と史跡をご紹介します。

 

 

 

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戦国武将天童氏と天童城の歴史と史跡をご紹介!🏯

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天童城趾(舞鶴山公園)

 

天童市にあります舞鶴山公園

今では天童将棋祭りの開催地でもありますが

その昔天童周辺を治めた天童氏の

天童城があった場所でありました。

 

天童城の前身は

当時、南北朝時代に南朝方の

天童を治めてた北畠天童丸が

舞鶴山に築城した事から始まり。

天童丸は山形に入部した北朝方である

斯波兼頼との対立と圧力により

徐々に勢力を落としていき

その後、青森県の津軽地方

浪岡方面に落ち延びていきます

 

天童丸の名前である天童が

そのまま天童市の地名の由来となり

その後、この地を治める

天童氏に引き継がれていきました。

 

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天童氏の始まりは成生地区で勢力を誇り

成生楯を本拠地にした里見義成に対し

斯波兼頼の弟、義宗を養子に

出した事から始まります。

 

義宗死後は、最上家3代目当主

最上義満の弟、頼直が里見氏に

2代続けて養子に入る事となりました。

 

その背景には山形城を中心に

国造りを図った斯波兼頼は

親族を送り縁戚関係によって

勢力拡大を目指したと思われます。

  

 

その後、成生楯の防備面の不安から

舞鶴山に居城を移し天童城の

築城にいたる事となりました。

 

成生楯の歴史と史跡は

こちらの記事で紹介しています

www.yamagatakabuo.online

 

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天童城趾案内図

 

天童氏は自らの子らを

東根、上山、高擶、寺津と 配置して

勢力を拡大しその勢力は

宗家である最上氏と並ぶようになり、

 

1514年、米沢を本拠地にする

伊達稙宗の軍勢が村山に侵攻した際は

天童氏は最上氏と共に長谷堂城で

奮戦しますが敗戦、

最上氏は伊達氏の傀儡となり

支配を受ける事となります。

 

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天童城趾の大ケヤキ

 

敗戦後の天童氏の行動は

村山地方北部に拠点を置く

国人衆との同盟関係、最上八楯を結成し

勢力を拡大化させる事となりました。

 

なぜ最上八楯の結成に至ったかを

私なりに分析したのですが

盛大な勢力を増す伊達氏に対し

天童城および北村山郡の侵攻に対しての

警戒感が各地域を治める国人との利害が一致し

同盟に至ったのでないかと推測します。

 

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天童城趾中央郭 

人間将棋祭り開催スペース

 

最上八楯の構成は

天童氏、延沢氏、飯田氏、楯岡氏

尾花沢氏、長瀞氏、六田氏、成生氏と

各国人衆が各地域を統治しておりました

 

その後天童氏は縁戚関係である

東根氏、上山氏や高擶氏

小国城(最上町)を治めた細川氏など

強固な同盟関係を構築していき

 村山の覇者へと登り詰めていきますが

そこで立ち塞がるのが

山形城主、最上義光でありました。

 

続きの記事はこちら↓

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