どーもKABUOです
天童寒河江街道も寒河江市に突入しました
前回の記事はこちらになります。
村山橋を渡りますと寒河江市
日田地区に到着します。
県道23号線を進みますと途中で
有川青果と書かれた看板がありますので
そこから日田地区と
昔の天童寒河江街道の街道筋です
日田地区に入って直ぐバス亭に日田口と
書かれた標識を発見、なるほど
入り口でもあり出口でもあるから
こんな表記をしているのでしょう。
その隣には寺院らしき建物がありましたが
詳細は不明でした
日田地区を散策すると
新田城趾入り口と書かれた
柱があったので行ってみます
新田城趾
室町時代に下野国(現栃木県)から
新田重通(にったしげみち)が
山形城主、最上満氏を頼り日田地区に
土地を与えられた事から始まり
新田城を築城し五代まで最上氏に仕えます
新田氏は当時寒河江を治める
大江氏を牽制する役割を担って
いましたが、
五代公義、六代公平の代に
大江氏に寝返り家臣となります。
1584年、最上義光が寒河江城に侵攻し
大江氏が滅亡すると水戸に逃れたとの
記録が伝わっているとの事です
公平山 福正寺
その後、新田城があった場所に
公平山福正寺が建造されたと
伝わっています。
日田地区は小路地が多く
昔から続く町並みを感じさせてくれます
日田地区から県道23号線を進み
寒河江市南町方面を目指します
現在は県道23号線沿いに
町並みが発展していますが街道沿いは
昔ながら続く老舗が数多く感じれます
大運寺と越井坂のアカマツ
大運寺にある立派なアカマツ
境内は桜の名所で
西行法師が石に腰かけて休んだことから
このあたりを腰掛坂と呼ばれています。
旧山形・天童街道追分
天童寒河江街道の終点
ここから山形、天童を結ぶ
寒河江街道の分かれ道になっています
これで天童寒河江街道の調査は終わりますが
山形市から寒河江に続く街道も
時間を見つけ調査して行きます
ランキングに参加しています。
記事の内容がよろしければクリック↑をお願いします