どーもKABUOです
前回の桧原宿編からの続きになります
北塩原村大塩地区 大塩宿
北塩原村の大塩地区に到着しました。
大塩地区は米沢会津街道の大塩宿の
宿場町として栄えた歴史があります。
大塩裏磐梯温泉
温泉街もある大塩地区、
源泉は食塩泉で少し塩辛いのが
特徴的な温泉です
その歴史は 開湯は1000年前とされる
古くは大塩温泉、北塩原温泉と名乗っていたが、近く(大沼郡金山町)に同名の温泉地があることなどから、裏磐梯を温泉地名に含めた名前を名乗るようになった。
Wikipedia引用
また大塩地区は昔から塩の生産が盛んで
会津藩のお殿様や皇室にも
献上された事もあったそうです
そのお塩で作った会津山塩ラーメンが
これまた絶妙!!
こちらでもご紹介しましたので
是非読んでください
大塩地区から次の福島県喜多方市熊倉地区
宿場町のあった熊倉宿を目指します
北塩原村生涯学習センター
旧大塩小学校になります
今では北塩原村生涯学習センター
として使用されています
柏木城跡
1584年に黒川城(現会津若松城)
蘆名盛隆が山形県米沢市の伊達氏の
備えに築城したと言われている城です。
1584年は伊達政宗が伊達家当主として
家督を継いだ年と一緒です
それだけ伊達氏の動きを
警戒していたのでないでしょうか
この柏木城跡の看板から左に行く道が
旧街道になりますので進んでいきます
樟の一里塚
バイクを走らせていたら
樟の一里塚がありました
北塩原村の史跡として
保存されているようです
北塩原村関屋地区に到着です
関屋地区では、
昔の案内表記みたいな柱があります
古くて文字が掠れていますが
左が熊倉、塩川、右が大塩、桧原と
表記されています
会津一望の丘
北塩原第一中学校近くにある丘の上です
会津若松の市街地や喜多方市が一望できる
スポットになります
綱取城跡
北塩原村第一中学校の
少しとなりにある綱取城跡です
となりの米沢、伊達氏の侵攻に
備えて築城された山城になります
山の名前が要害山と言う
名前に相応しく説明の看板に
網を取って登らなければならない
険しい岩山だったと説明されています
少しインターネットで
調べてみましたの記載します
綱取城の城主は松本氏で古くから
この地を治めた豪族だと言われています。
その後、会津一帯を治めていた
葦名氏の家臣となり葦名四天宿老と
呼ばれる様になります
このことから葦名氏重臣のなかでも
特別な存在だったことがわかります
しかし葦名氏に絶対服従していた訳ではなく
1500年と1505年の二回、
葦名氏に対して謀反の疑いや重臣達の
内輪揉めによる反乱の記録が残っています。
その後、松本氏は伊達氏が治める
長井庄に落ち延び綱取城は
一度廃城になりますが
米沢の伊達氏が勢力を広げる中で
侵攻に備えて再び築城される事になります
近くには松本氏に関連した
史跡や城跡が数多く残っています
ほとんどが国道459号沿いにありますので
観光しやすいと思います。
喜多方市熊倉地区 熊倉宿
関屋地区から喜多方市熊倉地区に到着しました
ここが米沢会津街道の宿場町だった
熊倉宿があった場所になります
続く
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