どーもKABUOです
2017年10月
米沢会津街道の調査を行いました
まずは米沢会津街道の説明をします
現在の福島県会津と山形県置賜地方を結び、約14里におよぶ道のりであった[1]。若松城下から途中、熊倉宿に至るまでは、上街道、中街道、下街道が存在しており、それぞれ別の経路であった[2]。また、現代の米沢街道は大部分が国道121号およびその旧道に相当する道が地図にも描かれているが、121号の旧道は大峠を経由するのに対し、近世の本街道 (旧米沢街道と呼ばれることが多い) は桧原峠を経由しており経路が異なる。
慶長13年までは上街道および中街道が本街道として用いられていたが、同年に下街道が本街道として定められ、以後は下街道が本街道として用いられている[2]。特に、本街道は、出羽三山参りや柳津虚空蔵尊参りなどにも利用されていた[2]。
補足をいれますと
戦国時代には、当時山形県米沢を
治めていた伊達政宗と
その配下、穴山一族が北塩原村の
桧原集落を拠点に激しく争いをお越し
その時にもこちらの街道が使われたと
言われています
上杉景勝の東北出羽合戦、
1605年には金山が発掘されると
大いに栄える事となり
東北戊辰戦争の際にも使用された
歴史的な街道になります
しかし1888年の磐梯山噴火による
集落が水没してしまったのと、
衰退していきました
主な宿場町は
米沢城下
関町宿
綱木宿
桧原宿
大塩宿
熊倉宿
塩川宿
若松城下
このような順番です
今回は北塩原の桧原宿から若松城下までの
記録を何回か分けてご紹介します。
桧原集落
スタートはここ桧原集落からとなります
磐梯山の噴火により旧桧原宿が
水没してしまい現在の場所に移動します
旧桧原宿は現在の集落から
北の位置にあったとされ
当時の面影が残る場所は
湖の上からひょっこり出ている
山神社の鳥居だけとなります
桧原宿跡
桧原集落の形成は芦名氏の配下、
穴山俊家がこの辺りを荒らし回った
山賊を退治した跡に町割りを行い
成立したと表記されています
桧原集落から突き進むと
物見ノ岩古戦場と書かれた史跡があります
ネットで検索してみると
この地を荒らし回った山賊、
物見ノ岩の文太郎を首領とした
6、70人の盗賊集団から芦名氏が
撃退したいう記事が記載されていました
これは恐らく先程紹介した、
芦名氏の配下であった
穴山俊家の事を指していると思います。
史蹟 中ノ七里集落跡
道の途中に史蹟と書かれた柱が
あったのでバイクを止めて
写真を一枚撮りました。
2007年頃までは人も住んでいて
近くには集落で住んでいた
持ち主であろうお墓もございます
桧原宿があった集落から次の宿場である
大塩宿までは現在は道が整備されて
普通に道路がございますが
昔の街道もしっかりと残っており
途中にはこういった柱が
何本かたっておりました
旧米沢街道の松並木
こちらの写真の松並木も
昔の街道になります
写真を撮りながらふと思ったのですが
結構山のなかにあるので
雪がふった場合昔の人はどうやって
街道を越えたんでしょう?。
桧原宿から大塩宿までの間に
大塩峠があったので
峠を越えるのですら大変なのに
夜は街灯もありませんから提灯を一つ持って
歩かなければならいですよね
昔、KABUOの職場の人が
「日本昔話はすごい」って
いきなり言いはじめたことがありまして
理由を聞くと、提灯一つで夜の
山奥を歩いてるけど
提灯一つではそんなに明るい訳でもないし
道も舗装されてる訳でもない
獣道を昔の人が通ったことが
凄くないかという内容でした
ここの松並木の旧街道を
見てまさにそんな道だよな~と
ふと思ってしまいました。
大塩温泉神社
大塩峠を越えて宿場町、
大塩宿に到着です
桧原集落から
20㎞位離れているでしょうか
桧原集落からは比較的に峠道を
下るだけなので楽な道です
大塩地区から桧原宿を目指すルートは
登り坂が多くオススメ出来ないので
無難に国道459線から行った方が良いと思います
大塩地区に到着するとすぐに
写真の温泉神社に到着しますので
もし旧街道に興味があるかたは
こちらの神社から街道に行けますので
是非チャレンジしてみてください。