どーもKABUOです。
高擶城と高擶陣屋跡の
史跡を巡りましたので
高擶地区の歴史と共にご紹介します。
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高擶城趾と高擶陣屋跡の歴史と史跡をご紹介!🏯
高擶城趾
高擶地区にある高擶城趾。その歴史は
最上家二代目当主直家の四男、最上義直を
当地に封じたのが始まりとされます。
その後、高擶氏と名乗り
当時はここより西の羽州街道沿いの
楯の内と呼ばれる場所に館を築き
当地を治めておりましたが
その後、最上氏一族である
天童氏三代目当主頼基によって
天童氏の支城として現在地に移され
城郭として整備を行いました
天童城の歴史と史跡を詳しく
紹介している記事はこちらです
高擶城本丸跡地(皇大神社)
1520年、最上領土まで勢力を延ばす
伊達稙宗よる侵攻を受け落城した
また1574年には最上義光と
最上義守の親子の家督争い、
天正最上の乱では時の高擶城主は
義守方となって戦ったと記録されております。
そして1584年、村山地方の覇権を争う
天童氏と義光の戦い天童合戦により
最上義光が勝利を収めると最上家臣
宮内内蔵丞、斎藤伊予守が居城しましたが
1622年、最上家改易とともに
廃城となりました。
高擶地区を歩きますとお城の堀跡や
古い城下町の名残が多く残されており
歴史ある寺院も多いですので
そちらもご紹介します。
石仏寺の石仏群
石仏寺は1200年代後半、
一向上人俊聖の開基と伝えられ
天童市石鳥居に当初創建されましたが
後に最上義直の時代に
高擶地区に移されました
登録されております
安楽寺は1454年創建といわれ
戦国末期に現在地に移転し以降
村山地方の浄土宗寺院の中心的存在であった
山寺奥の院まで念仏や唱え歌をあげながら上る
現在でも8月6日に行われております。
秋元藩高擶陣屋跡
最上家改易後、村山地方は統治者が
目まぐるしく入れ替わる中
1767年、秋元凉朝が山形藩に入部し
以後78年に渡りこの地を統治しますが
山形の飛地領土を管轄するために
山形市漆山と共に高擶城二の丸跡地に
陣屋を設置します。
陣屋の支配は約3年程でありましたが
廃止後に郷学校として利用され
現在跡地には地域住民が集まる
公民館が建設されました。
現在高擶地区には酒造会社、
天童ワインが隣接しており
城下町巡りが終わりましたら
こちらで試飲等されてはいかがでしょうか
以上、高擶城趾の歴史と史跡の
ご紹介でした。
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高擶城の歴史と史跡
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