ど~もKABUOです。
羽州街道の説明した前回の記事は
こちらになります、ご覧ください
山形の城下町の入口はどこだ?。
入口が分からなければ山形を起点にした
羽州街道の旅が始まりません
疑問に思い古い地図や
文献を読みあさりました。
アメリカのスタンフォード大学に
残っている明治時代の山形の
写真を見ていきましょう
明治時代の山形の地図です。
山形駅が線路が開通され、
山形駅の開業が明治34年になりますので
それ以降の古い地図です。
地図を見ると南舘地区や吉原地区等、
現在もある地名が地図に
表記され変わっていません
福島県桑折町から始まる羽州街道は
山形に入った後、楢下宿を通り
上山宿、黒沢宿、松原宿の後
山形の城下町に到着しました。
地図を見ますと吉原地区と南舘地区を過ぎ、
上町に入った所から街並みが
増えている事がわかります。
上町地区が山形城下町の入口だと思い
南口の入口があったであろう山形市上町から
羽州街道に沿って山形の城下町を
調査し見て回ります。
山形市上町の山形城下町の入口で
あるであろう場所になります。
山形道路地図で住所を確認した所、
写真の位置は山形県道5号線の通り沿い
近くにはとん八本店さんツルハドラッグ
住宅の街並みが並んでいます。
旧田町と書かれた柱が立っています。
正徳寺から南館までの
田を埋め立てて屋敷にしたところと
記載されております。
山形市内では昭和38~42年に
新しい住居表示法実施によって、
昔からの市街地での多くの
町名が消えてしまいました。
そこで山形市では、
「保存しよう」との市民の声を尊重し
市制施行100周年記念事業の一環として、
市内47 ヶ所に旧町名標示柱1988年から
設置しました
(旧町名と歴史的建造物を守る 引用)
名前からその土地の由来や
歴史的事実が分かりますので、
山形市のこういった取り組みは
よい取り組みだと思います
明治の地図を見ると山形市上町2丁目方面、
北東に進んでおります。
県道5号線の斜め右側にある一方通行の
道沿いが古い旧道だと思いますので
直進して行きます。
古い街道の雰囲気が感じられる街並みですが
お店が閉店しており寂しい印象を受けます。
道が一方通行なので、車では不便で
利用が少なくなってしまったのでしょう。
少し山形市上町の説明をします。
山形市上町 上条町とも称した
城下の南西端 五日町の西に接し羽州街道の
入口にあたる、南館(みなみだて)
村境には入口柵が設けられていた
(角川地名大辞典 引用)
入口柵が設けられたとありましたが
写真がその場所になると思います。
特に説明文のある看板があるわけでも無く
歩いて散策しなければ
気付かなかったでしょう。
今後見直され観光に力を入れる事も
あると思いますので
説明の看板を希望したいです。
ですがここが山形城下町の入口という事で
昔の旅人とリンクした気持ちになり
道中を楽しみましょう。
こちらの十字路が真っ直ぐ行けば山形城下町、
左に曲がれば山形県道17号線で狐越街道の
分岐点になります。
狐越街道の古道は
東北の関ヶ原、長谷堂合戦の際に
直江兼続も活用し、山辺町畑谷地区の
畑谷城を落城させた歴史もある古い街道です。
時間がありましたらリサーチします
古峯神社
特に説明表記もなく寂しいですが、古い歴史を
感じさせてくれます。
呉服洋品のほそやさんの道を真っ直ぐ進み、
十字路と信号機があります
そこを右に進むのが羽州街道のルートです。
正徳寺
旧田町の柱に書かれた、
正徳寺さんに到着しました。
特に説明の看板とかはありませんでしたが
綺麗に整備された寺院です
こちらのお寺を目印に右に曲がりましょう。
右に曲がってすぐに、
池田屋酒店が見えますので
こちらの道を真っ直ぐに進みます。
古い道を歩いていますとよくたばこ屋さんを
見かけます。今ではこういった個人商店は
コンビニに取って変わってしまい閉店した
商店が数多いです
後10年20年もすれば取り壊されて
道全体が寂しくなってしまうでしょう。
こちらの十字路を真っ直ぐに向かいますと次は
山形市五日町に到着しますが
ここは十字路の左に曲がり双葉公園に
向かいます
才ブックスから出版された
奇才雑誌ワンダージャパン。
変な公園遊具の特集で
写真に写っている
遊具が特集されました。
これだけ見に来た訳ではありません。
公園には山形城三の丸の史跡があり
説明表記された看板も残っております。
双葉公園は山形城内に入る三の丸稲荷口の
入口となっておりました。
この場所は、当時三の丸付近の塁濠址あたり
昭和48年までは水が張った
濠が残っておりました
この由緒ある旧址を残す為に形状を生かした
公園になります。
壽稲荷神社
双葉公園を出ますと近くには
壽稲荷神社があります
説明の看板によれば、
最上義光が山形城外稲荷塚に
鎮座されていたが、鳥居忠政の時代に
山形城の鎮護の神として城内稲荷口の
現在地に奉還と記載されています。
長谷堂合戦の際はここに最上義光の
本陣を置き上杉勢と直江兼続との
戦に挑んだとも説明されています。
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