KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

鮭延秀綱と鮭延城の歴史と史跡をご紹介!🏯

どーもKABUOです。

 

山形県最上地方真室川町にあります

鮭延城の調査を行いましたので

鮭延城城主で勇将と称えられ

出羽の関ヶ原、長谷堂の戦いで

活躍した鮭延秀綱と居城鮭延城の

歴史と史跡の様子をご紹介します。

 

 

 

 

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鮭延秀綱と鮭延城の歴史と史跡をご紹介!

 

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鮭延城跡入り口

 

真室川町にあります鮭延城。

 

鮭延城の築城された年代は

詳しくは分かっておりませんが

秋田県仙北地方を治めた

小野寺氏の客将、佐々木氏によって

築城されました。

 

 

鮭延城跡の場所はこちらです

 

駐車場は無く普通の民家の裏から

本丸跡への散策になりますので

近隣住宅に迷惑をかけないよう

注意して散策してください。

 

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鮭延城跡イメージ図

 

佐々木氏は

宇多天皇の子、敦実親王を祖とする

近江源氏佐々木氏の一族だとされ

20代綱村のときに出羽に下り

小野寺氏に仕えます

 

小野寺氏は秋田仙北地方から

雄勝、平鹿群と次々と領土を増やし

最上地域へと侵攻を進めると

佐々木氏を遣わし岩花城を築城し

最上地方への足掛かりを得ました

 

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鮭延城大手門跡

 

1563年 佐々木貞綱の時代、

庄内地方を統治しておりました

大宝寺氏(武藤氏)によって侵攻され

岩花城を落とされてしまい

現在の真室川町に退き

新たに鮭延城を築城、

真室川を中心に統治を始めます。

そして居城の地名を取り

鮭延氏と名乗る事となりました。

 

また大宝寺氏の侵攻の際

佐々木貞綱の息子である

鮭延秀綱が人質に取られてしまい

一時は大宝寺の小姓として

生活を余儀なくされますが

その後、鮭延城へと返され

 父の跡を継ぎ鮭延城主へとなります。

 

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帯曲輪

 

1581年

山形城城主最上義光の軍勢が

最上地方に侵攻を始め

抵抗を試みましたが

最上家家臣、氏家守棟の調略により

秀綱の重臣庭月氏を

味方に付けられてしまい

降伏を余儀なくされてしまいます。

 

しかしその後、本領は安堵され

以後は最上義光へと仕え

庄内侵攻や旧主小野寺氏を相手に

奮戦し活躍を見せるのでありました。

 

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鮭延城本丸跡

 

1600年

 

関ヶ原の戦いが始まりますと

西軍に属しておりました

直江兼続率いる上杉軍が

山形城へと侵攻しますと

志村光安が守る長谷堂城で

戦いの火蓋が切って落とされました

 

秀綱は副将として長谷堂に派遣されと

「鮭延が武勇、信玄、謙信にも覚えなし」

と言わしめるほど

勇猛果敢に上杉軍に攻め行り、

後に報奨として11500石が

秀綱に与えられる事となりました。

 

長谷堂城の歴史と史跡の紹介はこちら

www.yamagatakabuo.online

 

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本丸跡から望む鮭川の風景 

 

しかし1622年

最上義光死後、家督を継いだ

最上家親が早くして亡くなると

家親嫡男、義俊を押す家臣団と

秀綱率い義光四男山野辺義忠を押す

家臣団の間で内紛が始まってしまい

事を重く見た幕府により

改易を命じられてしまうのでありました

 

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正源寺

 

その後

秀綱は佐倉領主、土井利勝に預けられ

最上家内紛の不始末を許された後

土井氏に仕え5000石を与えられますが

山形以来の家臣にすべて分け与え

秀綱自信は家臣の家を転々と

暮らしたとされております

 

1633年

土井家の転封によって茨城県古河に移り

当地にて死去された後

遺徳を偲んだ家臣達によって

鮭延寺が建立され弔われました。

 

写真の正源寺は

鮭延貞綱が開基したお寺で

歴代鮭延氏菩提寺となっており

正門は鶴岡市旧朝日村にあった

湯殿山大日坊の総門を移されて

復元したものだと言われています。

 

以上、

鮭延秀綱と鮭延城の

歴史と史跡のご紹介でした

 

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