KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

舟形町の歴史と史跡をご紹介!🏞️

どーもKABUOです。

 

山形県舟形町を中心に

歴史や史跡そして観光スポットや

特産品をご紹介していきます。

 

 

 

 

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舟形町の歴史と史跡をご紹介!

 

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舟形町役場

 

1954年

舟形村と堀内村が合併し

成立されたのが舟形町となります。

 

舟形という名前の由来は

はっきりと分かっておりませんが、

川船が転覆して丘に化したと

伝えられる舟形の丘に由来する説や、

 

フナの形をした石が出たことにより

鮒方と呼ばれたことから

舟形に転じたとの説が

有力視されております。

(角川日本地名大事典参考)

 

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西ノ前遺跡

 

縄文時代の頃から

同町を流れる小国川沿いに集落が

形成された形跡が見つかっており

調査を行った所、多数の出土品や

土偶が発掘されました。

 

その中のひとつ縄文の女神は

保存状態が特に良く

しっかりと形状をとどめている事から

国宝指定されており山形県立博物館に

大切に保管され展示されています。

 

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猿羽根楯跡(さばねたて)

 

舟形町が初めて文献に登場するのが

奈良時代の頃でした。

 

蝦夷討伐を目指す朝廷の命により

大野東人が訪れたと記録されており、

 

当時、宮城県にあります

鎮守府多賀城から笹谷峠を越え

秋田県内にあります秋田城に向かう際、

避翼(さるはね)(舟形町富田地区)を

通った記録が残されており、

古代の時代から主要軍道として

重宝された歴史があります

(避翼の場所は諸説あり) 

 

その後室町時代に入りますと

奥州から入った源義高によって

猿羽根楯が築かれ一帯を統治しますが

最上義光のによって攻め滅ぼされ、

義光の支配地域となりました。

 

猿羽根楯の記事は

こちらで記載しております。

 

www.yamagatakabuo.online

 

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猿羽根地蔵尊

 

江戸時代、1622年

最上家の改易により

戸沢氏が最上地方に入部すると

新庄藩を立藩し以来幕末まで

舟形町一帯を治めます。

 

舟形地区は羽州街道の宿場町が置かれ

秋田。津軽城主の参勤交代や

出羽三山に参拝に向かう行者さん

宮城県大崎市鳴子町を結ぶ

鳴子街道の起点として

多くの人々が往来しました。

 

猿羽根地山蔵尊は

舟形町にあります猿羽根峠に

祀られたお地蔵様で

 

新庄藩と尾花沢の藩境に

悪い霊気が侵入する事を防ぐために

祀られたのが始まりだとされます

 

猿羽根山地蔵尊の

詳しい説明の記事はこちらです。

 

www.yamagatakabuo.online

 

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念仏の松

 

こちらの念仏の松は古来より

出羽三山に参拝に訪れる

行者さんが新庄越えを通り

この松の下で三山の方角に向かって

唱えたということから名付けられ

舟形町の天然記念物に

指定されています

 

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福昌寺山門格天井絵

 

こちらは福昌寺山門に

晟光と耕古の親子によって

描かれた天井絵でとても美しく

舟形町の有形文化財に

指定されています

 

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祈祷塚

 

舟形町富田地区にあります

町指定文化財、祈祷塚。

 

小国川と最上川の恵みによって

肥沃な土地でありましたが

度重なる川の洪水に悩まされ続け、

富田村羽黒派修験不動院に話をした。

 

不動院は葉山から

一本の杉の苗木を持ってきて、

ここに壇を築きその杉苗木を植え、

これより東方の水田に洪水の被害が

及ばないように祈祷した

史跡跡になります

 

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 戊辰戦争官軍之墓

 

幕末の頃。

 

舟形町は戊辰戦争の

主戦場の1つでありました。

 

秋田から進撃した新政府軍は

庄内、陸奥、仙台、山形などの

奥州越列藩同盟軍を破り

新庄城に進撃を開始します。

 

舟形で体勢を建て直した同盟軍は

庄内軍を主力として反撃に転じ

舟形口で激しい戦いが行われ

急襲を受けた政府軍は大敗しました

 

その際、

新庄藩士6名、長州藩士1名が

戦死しうち三名をこちらのお墓に

埋葬されたと記録が残されております

 

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舟形駅

 

明治時代になりますと

汽車や交通の発達により

豊富な埋蔵量を誇るが亜炭が採掘され

国内シェアの半分に達し

町は繁栄しましたが

 

昭和の頃

戦後のエネルギー転換により

亜炭産業が衰退したという

歴史がありました

 

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 ふながた若鮎まつり

 

現在では豊かな自然環境を行かし

地域ブランド、マッシュルームの栽培や

 

小国川で漁獲される松原鮎の

加工販売が行われており

毎年9月初頭に舟形町では

ふながた若鮎まつりが開催され

多くの観光客が訪れております。

 

ふながた若鮎まつりの

記事はこちらです

 

www.yamagatakabuo.online

 

しかし2015年

小国ダムの工事着工が行われ

今後小国川の生態系に影響が

及ぶことが考えられており

 

山形県民として

チェックしなければならない

義務があるのではないかと

思っております。

 

以上、

舟形町の歴史と史跡の

ご紹介でした。

 

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