KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

トゥールスレン虐殺博物館(S21)にいった話 カンボジア🇰🇭旅の記録

どーもKABUOです。

 

2019年5月、GWの最中

カンボジアを旅して参りました

 

前回の記事はこちらです

 

www.yamagatakabuo.online

 

今回はカンボジアの現代史の

歴史上、最悪であった

ポル・ポト時代の負の遺産

トゥールスレン虐殺博物館を

訪れた際の記録をご紹介します。

 

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トゥールスレン虐殺博物館(S21)にいった話

 

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トゥールスレン虐殺博物館

 

まずはトゥールスレン虐殺博物館の

紹介の前にカンボジアの近代史

そして現代史を交えながら

こちらの収容所について

簡単に説明します。

 

カンボジアを含め

ベトナム、ラオスを含む

インドシナ半島は19世紀頃から

フランスの植民地支配を受け

統治されておりました。

 

しかし

1940年フランス本土が

ドイツナチス軍侵攻されると

フランス政府の結託のもと

東南アジアに進駐した

日本軍が統治を行いますが

1945年日本の敗戦後、

 

1946年、再びフランスの

保護下に戻りますが

当時皇太子でありました

ノロンドム・シハヌークの

粘りある外交努力と

世界世論に訴えかけた結果

1953年に完全独立を果たします。

 

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写真がポル・ポト時代に

政治犯を収容した

トゥールスレン収容所で

現在は博物館として

見学が可能となっております。

 

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入場料金 8$

 

入場料金は5$なのですが

音声日本語ガイド付きで

8$で入り口前で

音声ガイドの貸し出しを行っており

(2019年5月現在)

 

こちらの収容所の詳しい内容が

深く聞け、勉強出来ますので

音声ガイドはお金をケチらずに

借りることをおすすめします。

 

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独立を勝ち取ったカンボジアは

シハヌークを首相に据え

各国からの支援の元

仏教と王政政治の

社会主義政策により

順調にカンボジア国内の

安定化を図っておりましたが

 

しかし隣国であるベトナムで

北ベトナムと南ベトナムの間に

ベトナム戦争が起こると

事態が一変してしまいます。

 

ベトナム戦争に

アメリカが軍事介入しますと

カンボジアは思いきった政策を取り

アメリカと国交を断行します。

 

そしてホー・チ・ミン率いる

北ベトナム軍は弾薬や食料を結ぶ

補給ルート(ホー・チ・ミンルート)を

カンボジア国内の道路を使用し

シハヌークは黙認する形をとりました

 

また当時のカンボジアの

政治状況ですがシハヌークの

手によって安定を保っておりましたが

国内右派と左派が対立する

状況でありました

 

シハヌークと左派勢力との間に

決定的な亀裂が入る事件が起き、

左派勢力対する徹底的な弾圧が

行われる事となります。

 

そしてその後、

左派勢力はジャングルに逃げ込み

武装闘争を始めまる事となります

 

この武装闘争を始めた左派勢力の

政治結社をクメールルージュと言い

リーダーの名前がサルト・サリ、

後のポル・ポトと呼ばれる男でした。

 

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写真の建物は元々は

日本でいう高等学校に

当たる建物でしたが

その後ポル・ポトが政権が

カンボジア国内を掌握した結果、

学校を廃止し跡地に

政治犯を収容する為の施設に

変貌を遂げてしまいました。

 

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シハヌークの行動に激怒した

アメリカはCIAを使い

カンボジア国内で

秘密工作を行います。

 

そして

シハヌークが北京に外遊中に

アメリカの後ろだての元、

国防相の最高責任者であり

新米派のロン・ノル将軍が国内で

軍事クーデターを行い

国内を掌握する事件が勃発し

シハヌークは国外追放されます。

 

国外追放されたシハヌークでしたが

中国の毛沢東、周恩来

北朝鮮の金日成の助言により

かつて弾圧したポル・ポト率いる

左派勢力と手を結び中国の援助の元、

ロン・ノル政権を崩壊に追い込みます

 

ポル・ポトとシハヌークは

カンボジアを掌握し

国名を民主カンプチアと名前を変え

クメールルージュによる

国の再出発を図る事となりました。

 

ここまでカンボジアの歴史を

振り替えってみると

アメリカ、ベトナム、中国、

資本主義対共産主義勢力による

冷戦構造による政治干渉が

カンボジア国内に及んだ事が

わかると思います。

 

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しかしそれが大きな間違いでした。

ポル・ポトはシハヌークを幽閉し

自らが政治の舞台に躍り出ると

苛烈な政策を行うことになります。

 

主な政策は下の欄の通りです

 

①都市部の住民の強制移住

②苛烈なノルマを授けた農業体制

③知識層の弾圧

 

ポル・ポトとクメールルージュの

幹部たちの政治思想は極端でありました。

 

①都市部の住民の強制移住

まずは首都プノンペンを掌握した

ポル・ポトとクメールルージュは

プノンペンの都市から住民250万人を

強制的に農村へ移住をさせると言う

命令を出します。

 

②苛烈なノルマを授けた農業体制

農村に移住した都市住民により

開墾が進められますが

農業の知識のある物が

いなかったにも関わらず

苛烈なノルマを押し付けた結果

農業生産が上手くいきませんでした。

 

仮に収穫出来たとしても

すべて輸出用に回され

国民が栄養失調になり

国民が疲弊し餓えてしまうという

事態に陥ってしまいます。

 

③知識層の弾圧

そして極めつけは知識層の弾圧、

医者、教師、公務員は私財を没収、

そしてポル・ポト政権にとって

知識層は不要の産物でした。

そこで行われたのが

「国の発展の為には知識人が必要だ」

と嘘の情報で知識人を集めると

全員を一ヶ所に集め虐殺されました

 

その行動はエスカレートしていき

芸能人、僧侶、留学生を筆頭に

海外に行ったことがある人

眼鏡を掛けているという理由だけで

次々に連行され虐殺されてしまいました。

 

そして元々は

ロン・ノル将軍の元で働いた

政治犯の収容所であった

この場所がなんの罪もない

一般国民が収容される

収容所へと変わり果てました。

 

説明が無ければ

素通りしてしまいそうになる

中央にある鉄の固いベットは

当時、収容した人を拘束を行い

苛烈な拷問を行った場所になります

 

 

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数多くの所業にによって

カンボジア国民は疲弊に見舞われ

カンボジアの農業生産能力が低下すると

ポル・ポトはこんなことを考えました

「国内にスパイ活動を行う人物がいる」

そう疑心暗鬼にかられたポル・ポトは

カンボジア国内に偵察隊を送り込みます

 

彼らの目的はポル・ポト政権に対し

不平不満を言う人物を

スパイ容疑をかけ逮捕するという

任務を行っており、

 

その結果多くの国民が

無実の罪でスパイの容疑をかけられ

こちらの収容所に収容された人数は

14000~20000人を越え

生還出来た人物は僅か8人でした

 

収容した際に収容者を

写真で記録撮影を行っていた事から

数多くの人々の写真が残っており

現在博物館の中には男女問わず

多くの犠牲者の写真が

現在博物館で飾られております。

 

ぜひトゥールスレン博物館に

訪れた際ぜひこちらで

一人々の写真を覗いて見てください、

恐怖に怯える顔、悲しむ顔

無表情の顔、怒った顔、

そしてこの写真で撮影された

人々殆どが後に処刑されたという

事実を受け止めてください

 

少し時代背景の説明が

長くなりましたが

当時の状況を認識しながら

トゥールスレン虐殺博物館を

鑑賞しますとまた違った角度で

カンボジアの歴史を深く知る

機会になると思います。

 

次の記事では

多くの処刑を行われた

キリングフィールドに付いて

詳しく言及出来ればと思います。

 

次の記事

 

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