KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

青森県弘前市 大渕ヶ鼻城(石川城)と弘前市中心街の歴史と史跡をご紹介! 羽州街道を行く

どーもKABUOです。

 

津軽地方の歴史と史跡、

観光スポット巡りの

旅を行っておりました

 

前回の記事はこちらです。

 

www.yamagatakabuo.online

 

今回は弘前市中心街から

羽州街道沿いを通り

弘前市石川にあります

大淵ヶ鼻城までの

歴史と史跡を紹介します。

 

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大渕ヶ鼻城(石川城)と弘前市中心街の歴史と史跡

 

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中央弘前駅

 

中央弘前駅から出発して

羽州街道沿いの

史跡を紹介してまいります

 

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紙漉町(かみすきまち)

 

津軽藩四代目藩主

津軽信政の命によって

良質な紙を製造するために

この地に紙漉座を設置したとされ

現在も町名として

当時の名残が残っております。

 

また明治天皇による

東北巡幸の旅の最中、

こちらのお水をお食事やお茶に

使用された事から

御膳水とも呼ばれており、

 

良質な水が湧き出ており

地元の方々はこちらでお水を汲みに

参られているそうです。

 

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太宰治まなびの家

 

太宰治が官立弘前高校へ通うため下宿していたこの家は、弘前市指定有形文化財「旧藤田家住宅」として、2006(平成18)年3月に現在の場所に再建され一般公開されています。大正時代の「中廊下型平面」住宅様式は貴重であり、現存する間取りにもご注意ください。

(太宰治まなびの家公式ホームページ引用)

 

太宰治が学生時代に

下宿していた住宅の二階では

学生服が立て掛けられており

当時の様子を偲ぶ事が出来ます。

 

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旧陸軍野砲兵第八聯隊隊門跡

 

弘前市立第三中学校の敷地は

以前、陸軍の基地が置かれており

現在も建物の一部が残っております。

 

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小栗山、松木平、石川地区を

通ります。道端には一里塚の跡や

古い神社も残っており

羽州街道の名残を感じる事が

出来ました。

 

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大淵ヶ鼻城(石川城)
 

弘前市石川にあります大淵ヶ鼻城

 

 石川城(いしかわじょう)は青森県弘前市に築かれていた日本の城。 別名、大仏ヶ鼻城。周辺の館とあわせて石川十三楯(大仏ヶ鼻城、岡館、猿楽館、月館、坊館、八幡館、寺館、高田館、茂兵衛殿館、寺山館、孫兵衛館、小山館、新館)と呼ばれ、この13の城館の総称として石川城といわれた

 

津軽曽我宗家である平賀の曽我道性により建武元年(1334年)に築城されたと伝わる。曽我氏はその後南部氏に制圧され、天文2年(1533年石川高信が石川城を居城としていた。だが元亀2年(1571年)5月5日未明、大浦為信(後の津軽為信)の急襲を受けて落城、石川高信は自害した。その後石川城は津軽氏の所有となり、津軽家臣である板垣将兼が守った。慶長16年(1611年)、弘前城築城に際し石川城は廃城となった。

(Wikipedia引用)

 

津軽平野を見渡せる高台に

築城されたお城で南部氏の武将、

石川高信が治めていましたが

南部氏を裏切り津軽統一を目指す

津軽為信によって攻めてこられ

妻子共々自害したとされます

 

その際、津軽為信は

大渕ヶ鼻城から程近い

堀越城の改修を石川高信に

願い出てこれを了承する。

 

改修と見せかけ武器弾薬を

堀越城に運び込み、大工や人夫に

見せかけて兵士を堀越城に待機。

奇襲をかけたとされます。

 

お城跡は現在公園に整備され

桜が咲き誇るお花見スポットに

なっておりました

 

以上大渕ヶ鼻城(石川城)と

弘前市中心街の歴史と史跡の

ご紹介でした。

 

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こちらが今回のルートです

 

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