KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

青森県藤崎町 りんご「ふじ」発祥の地 藤崎町と常磐地区の歴史と史跡をご紹介! 羽州街道を行く

どーもKABUOです。

 

2018年8月

 

津軽地方の歴史と史跡、

観光スポット巡りの

旅を行っておりました

 

前回の記事はこちらになります。

 

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今回は

青森県藤崎町と藤崎町常磐地区を

中心に歴史と史跡をご紹介します。

 

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藤崎町と常磐地区の歴史と史跡

 

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北常磐駅

 

藤崎町常磐地区は2005年

藤崎町と常磐村が合併し

新生藤崎町となりました。

 

常磐という地名の由来は

 

菅江真澄の「錦の浜」に

「嫁女の輿ときは村を通れば、

村の男女集まりときは気の枝折りて、

行末栄えよとくたりし。

さりければ村を常磐とはいふとなん」

と記されております。

 

 

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常磐地区の町並み

 

旧常盤村は鎌倉時代には北条氏の御内人として蝦夷沙汰代官職となり、室町時代には京都御扶持衆に組み入れられたとされる津軽の豪族である安東氏や、南朝の北畠氏ゆかりの武将の館跡に由来する地名が残されています。鎌倉時代には久井名舘は十川と浪岡川の間に囲まれた高台に舘が築かれていた(常盤村誌)とされ、福舘も中世の安東時代に築かれた砦から付けられたものといいます。水木は津軽郡中名字(天文年間1532-55)に「溝城(みぞき)」とあり、現在の古舘にある熊野宮は館神として勧請されたと伝えられています。平城の館跡で、郭内は南北250メートル、東西200メートルで周囲に水堀跡があり、現在でも堀、土塁が残っています。同じ津軽郡中名字には十川端の地名(現在の福島地区)もみえています。このように、早くから豊かな米作地帯として拓かれていました。藩政時代は津軽藩領、津軽郡田舎荘に属していました。

(藤崎町公式ホームページ引用)

 

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五輪盛

 

常磐地区にあります史跡

 

昔から貴人の墓といわれており

前回の記事で紹介しました

川原御所の変で討死した

北畠具信親子の墓所とも

長慶天皇の陵墓と伝えられています

 

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青森市から藤崎町に向かう途中には

旧羽州街道の村々の歴史を

紹介した案内板が立っており

地区の歴史勉強を行う事が出来ます。

 

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藤崎駅

常磐地区から藤崎地区に到着。

 

りんご「ふじ」の発祥の地でもある

藤先地区は藤崎宿と呼ばれ

羽州街道の宿場町として栄えた

歴史を持つ町です。

 

地名の由来ですが

坂上田村麻呂の藤の鞭に由来し

田村麻呂が藤の鞭を地にさした所は

旧跡藤巻森と呼ばれていた説や

古くは鹿島神社の北の沼州川にちなみ

沼州と称していたが

藤の木が2抱えほどになり胡桃の木に

からんでいたことから藤咲と改称
のちに藤先、藤崎となった説があります

 

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旧藤崎町は津軽で最も早くに開けた土地であり、縄文晩期の土器などが発掘されていることから、先史時代から人が住んでいたものと考えられます。
 前九年の役で(1051年)源頼義・義家を棟梁とする軍勢が、奥州の豪族・安倍氏を討ち、破れた安倍貞任の遺児・高星丸が藤崎に落ち延びて、のちの藤崎城を築き、安東氏を興したと伝えられていることから、藤崎は「津軽の歴史の発祥地」と言われています。
 安東氏は鎌倉時代、岩木川水上の要衝、肥沃な土地を誇る藤崎を拠点に勢力を拡大、十三湖に進出し、強靭な水軍と船団を背景に日本海を雄飛し、北奥州の覇者として君臨しました。藤崎では、鎌倉との往来を偲ばせる「唐糸御前の伝説」や、南北朝時代のものと推定される6基の板碑が見つかっており、鎌倉の影響を受けて、文化的に高い水準に達していたと考えられます。
 15世紀半ば、南部氏の進出により安東氏が津軽から退去した後は、南部氏の支配するところとなり、16世紀終わりの津軽(大浦)氏台頭以後は、藩政時代を通じてその支配するところとなりました。江戸時代は、藤崎組の首村として、代官所・鷹待場(幕府などに献上する鷹を捕獲する場所)・御蔵(米穀の集積と積み出しの基地)・伝馬(物資や文書の輸送基地)など、重要な公共施設が設けられていました

(藤崎町公式ホームページ引用)

 

町中を歩きますと古いお店も多く

宿場町の名残を感じる町並みです。

 

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藤崎八幡宮

 

藤崎八幡宮は古くは津軽地方を

統治した安東氏の居城であった

藤崎城の跡地に建てられた神社です

藤崎城と安東氏の歴史は

こちらの記事で紹介してます。

 

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唐糸御前史跡公園

唐糸御前史跡公園は鎌倉時代の

北条時頼の回国伝説にまつわる

唐糸御前の伝説が残る史跡公園です。

 

「唐糸御前の伝説」は、鎌倉の五代執権・北条時頼に愛された女性「唐糸御前」の悲しい伝説です。
唐糸御前は、鎌倉の執権・北条時頼に仕える心根の優しい才色兼備の女性でした。時頼の寵愛を一身に受けるようになると、周囲の妬みから鎌倉を逃れ、生まれ故郷の藤崎に隠れて暮らします。
時頼が諸国行脚で津軽を訪れる際に、田舎に落ちぶれ見る影もなくやつれた自らの姿を悲しみ、近くの柳の池に身を投げました。
村人たちが唐糸御前の死を泣き悲しんでいるとき、時頼がこの地を訪れて唐糸御前の死を深く悲しみ、唐糸御前が通っていた平等教院という寺院に墓を営みました。そして鎌倉に帰る道すがら七日ごとに寺を建立しました。
今もその史跡を秋田県各地にたどることができます。

 (藤崎町観光情報サイト ふじさんぽ 引用)

 

公園からは白鳥が飛来する

平川が流れる白鳥の広場や

岩木山が見渡せるスポットに

なっております。

 

以上、藤崎町と常磐地区の

歴史と史跡のご紹介でした。

 

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こちらが今回のルートです


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