KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

新庄市 新庄藩と藩主戸沢氏の歴史 羽州街道を行く

どーもKABUOです。

 

新庄市にあります最上公園

その昔、新庄城と呼ばれる

お城の跡地になります。

 

前回の記事はこちらです

 

www.yamagatakabuo.online

 

今回は、

最上地方一帯を治めた

新庄藩、そして藩主戸沢氏の

歴史について紹介していきます。

 

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新庄藩と藩主戸沢氏の歴史

 

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最上公園 新庄城趾

 

まずは戸沢氏の出生から

歴史を紐解いていきましょう

 

戸沢氏は平忠正の子、平維盛[2]より始まり大和国三輪を本拠地とした。その子、平衡盛の代に木曾義仲に属していたが、その不義を憎み奥州磐手郡滴石庄(岩手県雫石町)に下向した。

1185年源頼朝に臣従し、屋島の戦い奥州合戦での活躍が認められ、磐手郡滴石庄内に4千6百町歩の土地を与えられ大身の御家人となる。その時に滴石庄の戸沢邑に居を構えたことから「戸沢氏」と称した。

(Wikipedia引用)

 

源頼朝配下として活躍して

その後岩手県雫石地方の荘園を

与えられ、名を戸沢氏と称した事から

戸沢氏の歴史が始まったとされます

 

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新庄天満神社

 

南北朝廷になりますと

南部氏との争いに負けてしまい

 

岩手県雫石から秋田県角館に移り

仙北地方を治める戦国大名として

秋田氏、小野寺氏と秋田の覇権を争う

戦国大名として活躍していきます。

 

永禄9年(1566年)、道盛にひとりの男子が生まれる。

後に「鬼九郎」の異名を取り、北奥随一の名将と謳われた戸沢盛安である。

盛安は小野寺氏や安東氏を破って勢力を拡大し、仙北三郡の完全平定に成功。戸沢氏の全盛期を出現させる。中央の動静にも絶えず注目し、豊臣秀吉小田原征伐には東北地方の戦国大名の中ではいち早く参陣して秀吉の賞賛を受け、所領を安堵された。

(Wikipedia引用)

 

戦国時代になりますと

戸沢盛安の活躍により

勢力を拡大し豊臣秀吉の小田原征伐に

いち早く参人したことにより

所領を安堵されます。

 

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新庄天満神社の撫で牛

 

しかし

関ヶ原の戦いでは

徳川家康方に味方しますが

上杉討伐の際、秋田氏の拡大を

恐れ消極策に出てしまった為

後に咎められ茨城県常陸松岡に

転封されていしまいます。

 

写真の新庄天満神社は

秋田角館時代から

戸沢氏の氏神として崇拝されており

 

天満神社に祀られている

撫で牛の頭を撫でると

頭を撫でると頭がよくなり

自分の体の悪い所と同じ所を撫でると

その個所が治ると言われています。

 

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新庄城天守台跡

 

1622年

最上地方を治めておりました

山形藩最上家の改易

 

初代新庄藩主戸沢政盛が

最上地方に入部し新庄藩を立藩

以後、 明治維新まで戸沢氏が

最上地方を治める事となり

 

新庄藩は6万石程度の石高でしたが

新田開発や鉱山開発、市場改革を進め

6万8千石まで石高を伸ばしましたが

放漫財政が続き次第に

国力を落として行くこととなります。

 

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戸沢神社

 

幕末を迎え

時代が慌ただしく変わるなか

新庄藩にも時代の波が押し寄せます。

 

慶応3年(1867年)の庄内藩上山藩出羽松山藩等による江戸薩摩藩邸の焼討事件では、薩摩藩と直接交戦はせず、江戸市中の巡邏を担当した。翌年(1868年)からの戊辰戦争では開戦当初の4月、新政府側の奥羽鎮撫軍が新庄に入ったため、4月23日に共に庄内領清川に攻め込むが、迎撃され惨敗した。同年、奥羽越列藩同盟に参加した。庄内藩に協力して新政府軍を圧倒したが、新庄藩の北に位置する久保田藩(秋田藩)が新政府側へ変節したのに同調し、奥羽越列同盟から離脱した。

(Wikipedia引用)

 

幕府軍と新政府軍との争いが始まると

東北各藩は新政府軍に最初味方しますが

新政府軍の横暴な態度に激怒し

幕府軍側に傾倒し

奥州越列藩同盟を組織します。

 

新庄藩は当初同盟に参加し

庄内藩と共に新政府軍と戦いましたが

後に久保田藩が同盟を離脱し

新政府軍側に付いてしまい

同調する形で同盟から離脱します。

 

同盟軍側の庄内藩は激昂し

新庄城へと進軍を進め

新庄城は落城、新庄城下は大火に

見舞われたそうです

 

明治2年(1869年)、新政府側への変節による新政府軍優位を作り出した功績を賞されて、1万5000石を加増された。同年6月には版籍奉還により新庄藩知事となる。そして明治4年(1871年)の廃藩置県によって正実は東京に移住し、新庄藩は廃藩となって新庄県となる。そして同年9月に新庄県は山形県に編入された。

(Wikipedia引用)

 

その後は明治時代が始まり

新庄、最上地方の復興が

始まったとされます。

 

写真の戸沢神社は

戸沢始祖、戸沢衡盛

新庄藩初代藩主政盛の霊を奉祀し

明治27年に建造されました。

 

以上

新庄藩と藩主戸沢氏の歴史でした。

 

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