KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

新庄市 最上公園と新庄城趾の歴史と史跡 羽州街道を行く

どーもKABUOです。

 

新庄市内の歴史と史跡を

ご紹介しています。

 

前回の記事はこちらです。

 

www.yamagatakabuo.online

 

今回は最上公園にあります

新庄城跡と新庄藩の歴史を

中心にご紹介します。

 

スポンサーリンク

 

 

 

最上公園と新庄城趾の歴史と史跡

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20181019204600j:plain

 

最上公園

 

新庄市堀端町、最上公園。

 

春の季節には公園内に

桜が咲き誇るその場所は

かつて新庄藩戸沢氏が治めていた

新庄城があった場所です。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20181019205121j:plain

 

 新庄城堀跡

 

戦国時代、最上地方は

大蔵村最上川流域を治めた清水氏、

現在の最上町を治めていた細川氏

秋田仙北地方を治めていた

小野寺氏の客将で鮭延城を本拠地に

真室川周辺を治めていた鮭延氏の間で

領土を巡る争いが起こっておりました。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20181019213723j:plain

 

新庄城趾

 

新庄城は別名 沼田城とも呼ばれ

築城時代は詳しくわかっておりませんが

この地を治めていた豪族国人衆によって

館が形成されたのが新庄城の全身となり

 

戦国期は清水氏の支配下に置かれ

日野左京亮が治めておりましたが

最上義光の最上地方への侵攻により

最上氏に屈服し最上氏の領土へと

変わっていきます。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20181019210441j:plain

 

表御門跡

 

最上地方を治めて最上義光は

この地に家臣、日野将監を統治させ、

十日町や五日町などを開き

町人を集住させたと伝わっており、

 

新庄の名前の由来には

清水城に対して新しい城を意味する

新城が名前の由来となった

説があるそうです。

 

写真の表御門跡は

本丸正門があった所で

当時は石垣を土台にした

櫓門があったとされます。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20181019215624j:plain

 

 土豪跡

 

しかし

最上義光の死後

家臣団が分裂し内紛状態に陥り

1622年

最上家が改易されてしまいます。

 

改易後、

山形藩には磐梯平を治めていた

鳥居忠政が入部し治め、

 

そして

新庄最上地方には常陸の国を治めていた

戸沢政盛りが入部し新庄藩が立藩され

戸沢氏の時代が始まります。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20181019222740j:plain

 

何故、

戸沢氏が新庄に入部したかと言いますと

鳥居忠政の妹と戸沢政盛の間に

婚姻関係が結ばれており

 

隣国の

秋田佐竹氏と仙台伊達氏

そして米沢の上杉に対して

江戸幕府は警戒していた為

山形藩に鳥居忠政を入部させた際

親類を近辺する藩に置き

山形の守りを強固にする

狙いがあったとされます。

 

戸沢氏の統治は

以降幕末まで11代まで続き

次回は戸沢氏と新庄藩の歴史を

戊辰戦争を交えながら

ご紹介出来ればと思います。

 

つづく

 

ランキングに参加しています

記事の内容がよろしければ

バナークリックをお願いします

にほんブログ村 旅行ブログ 東北旅行へ
にほんブログ村

 

スポンサーリンク 

 

次の記事

www.yamagatakabuo.online