KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

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尾花沢市 松尾芭蕉と鈴木清風 羽州街道を行く

どーもKABUOです。

 

前回の記事はこちらです

 

www.yamagatakabuo.online

 

今回、ご紹介するのは

奥の細道の道中、松尾芭蕉が

尾花沢で過ごした日々とお世話をした

鈴木清風に関連した歴史と史跡を

ご紹介します。

 

松尾芭蕉と鈴木清風

 

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 松尾芭蕉像

 

奥の細道、最大の難所と言われた

山刀伐峠を越えた松尾芭蕉と

弟子の曽良は宿場町であった

尾花沢宿に到着し

 

江戸で交流を持っていった

鈴木清風の元に

訪れるのでありました。

 

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 清風宅跡

 

紅花商人であった清風は

商売の傍ら、俳諧を嗜んでいた事から

芭蕉と交流を持つようになり

尾花沢に来た際は

あたたかく手厚くお世話にあったとされます

 

芭蕉も

 

「かれは富める者なれども、

志卑しからず。都にもをりをり通いて

さすがに旅の情を知りたれば、

日ごろとどめて、長途のいたはり、

さまざまにもてなしはべる」

 

と感謝の言葉を残しております。

 

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養泉寺

 

最上三十三観音の一つ

尾花沢観音があります養泉寺

 

歴史と由来

 

昔、尾花沢一帯は雑草が生いしげり、地上には光がとどかない有様であった。そのため、人や家畜に害を加える毒虫がいたる所に巣を作り、旅行く人を悩ませていた。ちょうどその頃、この地方をまわっていた慈覚大師が、自分の彫刻した観音像をまつり、災厄消除悪虫退散を祈願した。毒虫はたちまち絶滅し、そのあと虫の害を受ける人がいなくなった。大師が鎮守仏を安置した話を聞き、遠くから参詣者が日を追って多くなった。

別当の養泉寺は、東叡山寛永寺の直系の寺で、維新前までは相当の収入もあり、たいへん格式の高い寺であったが、維新の改革で田畑が没収されたため、収入も格式も衰え、一時は観音の堂守のようになってしまった。観音堂は、北坂下の田んぼの所にあったのを元和元年現在のところに移したということだが、どういう理由で移したのか、時の住職は誰だったのかなど記録がないのでわからない。

明治二十八年六月二十日火事にあい、観音堂は焼けたが、本尊は別当が持ち出しため無事であった。尊像は暫時、仮堂に移されたが、明治三十年七月再建され、盛大な遷座式典が行われた。現在のお堂がそれである。

 (最上三十三観音公式ホームページ引用)

 

清風は芭蕉がゆっくり休める様

養泉寺を用意し 10日ほど滞在しました

 

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 芭蕉清風歴史資料館

 

尾花沢市では

芭蕉が10日滞在した事から

芭蕉と清風に関連した歴史資料館を

開園しており、園内では

芭蕉が尾花沢に滞在した記録と

清風の人柄を伝えた展示物が

並んでおります。

 

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建物は旧丸屋・鈴木弥兵衛家の店舗と母屋を、鈴木清風宅の隣に移転復元したもので、尾花沢地方における江戸時代町屋の完成した姿を伝える貴重な建物となっている[4]

(Wikipedia引用)

 

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館内は撮影出来ませんでしたが

矢口高雄の奥の細道で

芭蕉の軌跡を勉強です

 

つづく

 

 

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