KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

尾花沢市 六沢、鶴子、上柳渡戸地区の歴史と史跡 軽井沢越最上街道を行く 

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どーもKABUOです。

 

 軽井沢越最上街道の続きになります。

 

前回の記事はこちらです

 

www.yamagatakabuo.online

 

今回、ご紹介するのは

尾花沢市にあります

六沢地区と鶴子地区、そして

上柳渡戸地区に付いたご紹介ます

 

豊富な湧き水が涌き出る大自然と

最上三十三観音の参拝所があったりと

とても落ち着ける場所でした。

 

六沢、鶴子、上柳渡戸地区の歴史と史跡

 

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六沢観音

 

尾花沢市延沢地区から

六沢地区に入ってすぐに

最上三十三観音 23番所

六沢観音があります

圓照寺さんに到着です

 

歴史・由来

昔、この一帯は湖水になって、人々は、舟や筏で往来していたが、六沢の城沢山の境内には、何千年もたった椋(むく)の大樹があり、湖を渡って来た人は、荷物の積みおろしや舟の乗り降りの際、この大木に舟をつなぎとめたので、つなぎ沢と呼ばれていた。それで昔は、つなぎ沢観音とも言われた。便利な反面、実は大木の枝葉が数町に広がっていたため、農作物に被害を与えていた。しかし、樹の精がいるというので、恐れてただ一人手出しをする者がいなかった。大同二年、慈覚大師が巡錫したとき、村人の悩みを聞いた大師は、みずから大樹を伐採し、この大樹で聖観音をきざみ、有縁の地へ安置した。その一体の聖観世音が六沢のご本尊である。観音様を刻んだ残りで地蔵様を刻み、村の古い家では木っ葉地蔵と言っている。

いつのまにか観音寺は廃寺となり、村の信者達が近くの円照寺に依頼し、当時の住職江口皐天大和尚の努力で観音堂は復興した。しかし、当観音堂は倒壊寸前となり、円照寺二十世哲生大和尚は、円照寺境内に改築移転、同七月に落慶式を行った。

(最上三十三観音公式ホームページ)

 

六沢は鹿沢とも書かれた

地名だったそうです

 

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鶴子地区

 

六沢地区から少し寄り道。

 

鶴子ダムから見える鶴子地区の集落、

田園風景が広がりのどかな田舎です。

 

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 御所の水公園

 

 蓮の花が咲き誇る公園です

 

蓮の花はまだ咲いておりませんでしたが

涌き出す御所の水を汲みに

地元の方が訪れていました

 

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 鶴子ダム

 

尾花沢市鶴子地区には

御所山と呼ばれる古くから

山岳信仰で栄えた山があったそうで

承久の乱で佐渡島に流刑になった

順徳天皇にまつわる伝説が残っております

 

御所山の説明(船形山)

 

船形山は宮城県側で呼ぶ名である。北東側から山頂を向いたとき、緩い傾斜を急な崖が縁取るのが浮かぶ舟のように見えることから名付けられたとか[2]、東から見たとき山頂が船底をひっくり返したような形をしていることから名付けられたとか言われる[3]。一方、山形県側では御所山と呼ばれており、こちらは北西麓の尾花沢に伝わる伝説に由来する。その話では、承久の乱佐渡島流刑になり、佐渡島で没したと伝えられている順徳天皇が、実は佐渡島から脱出して尾花沢まで落ち延び、隠れ住んだ。山の名は天皇の居所、すなわち御所にちなむという。船形山を中心とする5つの峰(五所)が由来という説もある。

(Wikipedia引用)

 

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 上柳渡戸地区

 

尾花沢市上渡柳戸地区。

 

地名は丹生川の渡河点に目ぼしい柳が

あった事が由来になり

延沢銀山の開発と共に開けた集落です

 

延沢氏の家臣であった高橋石見が

築城したとされる上柳渡戸舘が

この地区にあったとされ

延沢家没落に伴い

この地に残った家臣団が帰農した

集落を形成した歴史があります

 

 

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上ノ畑観音

 

上柳渡戸地区薬師寺にあります

最上三十三観音24番所

上ノ畑観音です。

軽井沢越最上街道沿いには

延沢、六沢観音と多くの

最上三十三観音の霊場が並んでいる

印象を受けます

 

歴史・由来

 

この地方は出羽の国の国境であり、交通が発達していなかった当時としては、ここに道路が開かれたことはたいへん重要であった。土地の豪族高橋信濃は、旅人の安全を祈るため観音を安置した。山の中腹の道路の側に建てられたというが、その年代は相当古いと思われる。貴重な資料も宝物も、度々の火災で焼けたため、何一つ残っていないのは残念なことである。

その頃は、観音堂の下にある東源寺という禅宗の小さな寺が、観音堂を管理していたが、その後、住職がいなくなったままになっていた。安政年間、この村の薬師寺の長老、勇岳が東源寺に来て、復興に力を入れたため、一応面目を新たにした。しかし、その翌年、また、火事のため建物は灰になったが、高橋善左衛門が猛火の中から仏像を取り出し、自宅の土蔵の中に移した。善左衛門は、信濃の子孫であり、たいへん信心深い人であったため、独力で再建を進め、安政四年七月十七日完成した。この辺は、交通上重要な土地で、維新前は大名たちの往復の宿駅でもあった。高橋家は準本陣格であり、祖先以来、観音に奉仕している。上ノ畑は、奥州街道の軽井沢越と呼ばれ、昔は幕府の関所も置かれていた。

延沢銀山は、加賀金沢の儀賀市郎左衛門により発見され、慶長のころ泉州堺の十兵衛によって開発されたといわれている。銀の採鉱は二百年にわたっておこなわれたが幕末のころは衰退し、現在では銀坑跡を「おもかげ園」と称して市の文化財になり、焼き掘という採鉱方法の跡や、大坑道、抗夫の住居跡などが保存され、縁結びの岩薬師が安置してある。

(最上三十三観音公式ホームページ引用)

 

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 ブナ共生の森

 

街道沿いを銀山温泉に向かう途中、

ブナ共生の森、尾花沢サーキットと

掲示された立て看板がたっており

興味がそそり寄り道。

 

全国でも珍しい

天然のブナ林をいかした森林公園で、

ブナ林が保水し浄化した湧き水が

涌き出ているスポットで

ブナ林もよく歩道が整備されており

トレッキングに最適な場所です

 

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 尾花沢サーキット場

 

ブナ林共生の森を抜けますと

オフロードコースが広がる

尾花沢サーキット場に到着。

 

レース等は開催されませんが

サーキット場は無料で使用が出来、

地元のライダーや仙台から人が集まり

爆音を響かせ砂ぼこりを巻き上げながら

オフロードバイクを走らせておりました

 

かなり格好いい趣味ですよね("⌒∇⌒")

 

つづく

 

 

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