KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

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村山市 居合神社と林崎甚助 羽州街道を行く

どーもKABUOです。

 

 前回の記事はこちらです

 

www.yamagatakabuo.online

 

今回ご紹介しますのは

村山市にあります

居合の始祖と呼ばれる林崎甚助を祀る

居合神社についてご紹介します。

 

居合神社と林崎甚助

 

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居合神社

 

www.iaijinja.jp

公式ホームページ

 

抜刀が盛んだった時代、

羽州街道沿いにあった

こちらの神社には多くの剣士が

参拝に訪れたとされます。

 

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809年

林崎地区の東方石城嶽の大明神沢の

洞窟に熊野権現が祀られ、後に

旧荒宿村に降神、熊野堂として

石祠の祀られ

 

1046年から1300年の間に

この当地に遷座され

熊野明神と改め、地元民に

祖神として崇敬信仰されたと言います

 

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林崎甚助について

 

生年は不明だが参考文献では1544年とされる。出羽国楯山林崎(現・山形県村山市林崎)で生まれた。父は浅野数馬、幼名民治丸。1547年、父が坂一雲斎に恨まれ、夜更けに碁打ちの帰宅中を闇討ちされ、仇討ちのため楯岡城の武芸師範東根刑部太夫について武術に精進した。林崎夢想流第十七代宗家奥山勧禅によると、「1559年、林の明神に百か日参籠し、仇敵坂上主膳を打ち、父親の無念を晴らさんと請願し、家伝の大刀三尺二寸三分を腰に帯、抜刀を日夜練磨した。満願の暁、夢中に林の明神が示現し、抜刀の秘術卍抜を授けられ」たとしている[1]。その後1561年、齢19にして仇討ちを果たした(本懐を遂げたのは1560年とも言われる。これは古来、年齢は数え年で数えられていたため)。その後、諸国を廻国修行する傍ら幾多の弟子を育てていて、その途中で加藤清正に招かれ加藤家の家臣を指南したとも伝えられる。[要出典]

Wikipedia引用

 

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林崎甚助は1538年、

楯岡城主、最上満英に士官したと

伝えられており

 

父親である浅野数馬が京で

囲碁の帰り道、坂一雲斎に

闇討ち暗殺されます

 

仇討ちの為、13歳の頃から

熊野神社に祈願参拝し修行に打ち込み

18歳の時、元服した際に村名の

林崎を姓とし林崎甚助と名前を改名

 

20歳の頃、京にて宿敵である

坂一雲斎を討ち果たし本懐を遂げます。

 

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 居合神社本殿

 

その後、各地を廻り

抜刀の修行をしながら

幾多の弟子を育成したと伝わり

後世、その英霊を思慕し崇め

居合明神としてこちらの

熊野神社と一緒に祀り

居合神社になったとされます。

 

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 村山居合振武館

 

現在、村山市の楯岡小学校では

居合のクラブ活動が行われ

毎年、神社境内で居合の

奉納演武を行う流派や団体が

集まり大いに賑わいを見せており

 

こちらの会館で演武を練習する

剣士の皆さま方が集まるそうです。

 

以上、居合神社のご紹介でした。

 

 

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