KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

スポンサーリンク

旧関山トンネルの現在の様子を見に行った話 関山街道を行く

どーもKABUOです 。

 

前回の記事はこちらになります

 

www.yamagatakabuo.online

 

旧関山トンネルと関山街道の歴史

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180621200606j:plain

 

泉や大滝ドライブインを出て

国道48号線沿いを進みますと 

旧国道48号線、旧関山トンネルへと

向かう道に到着します

 

右側に見える道が旧道になります

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180621201637j:plain

 

旧道に到着です。

 

道路は舗装されておらず

泥道と砂利道が続いています。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180621202207j:plain

 

ただ山道をひたすら

CUBで走るのですがタイヤが

パンクしないか凄く不安(-_-;)

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180621202440j:plain

 

だいぶ昔の物でしょう・・・

 

土砂崩れを防ぐ為の

舗装を跡を確認できます。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180621202844j:plain

 

少し悪路を走りますと

こちらの橋に到着します。

 

ここから先は

車での交通は出来ないように

なっております。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180621203249j:plain

 

橋の名前が

えいしょうはしと書かれており

苔もびっしりと這えており

長らく交通されていなかった事が

よくわかります

 

この日は少し霧がかかっており

天気が悪くなってきた為

引き返しましたが、

 

以前にこちらを探索した際の

写真がありますので

そちらを使って

現在の旧関山街道の様子を

ご説明していきます。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180621203854j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180621203945j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180621204940j:plain

 

以前の古いカメラで撮影した為、

画像が悪くてスミマセン。

撮影時期は2017年の夏頃になります

 

先程の通行禁止の所から

20~30分走った所でしょうか、

錆び付いたガードレールがあり

当時、ここを車が走っていた

面影がそこにはあります。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180621205816j:plain

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180621205905j:plain

 

所々、土砂崩れも起きており

とてつもない悪路になっています。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180621210546j:plain

 

旧関山トンネルです!

 

周囲は土砂崩れなのでしょうか?

かなり崩壊しています(笑)

ここで関山トンネルについて

ご説明します。

 

1878年(明治11年)、早川智寛[※ 1]野蒜築港内務省土木局出張所の主任に就き、東北地方の国際貿易港として計画された野蒜港(地図)の建設が動き始めた。すると、野蒜と山形県とを結ぶ道路の開鑿(かいさく)が計画され、同年5月に宮城県令宮城時亮山形県令三島通庸が会談し、関山峠トンネルを通す計画が選定された[1]

(Wikipedia引用)

 

関山街道は江戸時代に

本格的に開通されますが

難所であった関山峠があったので

それほど活用されておりませんでしたが

 

 

江戸時代の主な物流方法は

船を使い日本海側を経由して北海道や

京都、大阪など行っておりましたが

 

明治時代に入り

主な物流が太平洋沿いを通る事となり

宮城県の港町を山形と結ぶため

山形県初代県知事、三島通庸によって

関山峠にトンネルを掘る

大規模な工事が行われました。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180621215729j:plain

 

旧関山トンネル

 

1879年(明治12年)11月から宮城県側の作並街道で工事が始まり[1]1880年(明治13年)6月には山形県側の関山街道で工事が始まった[2]火薬爆発事故(参照)により死傷者を出す惨事を経験しながらも、1882年(明治15年)6月に関山隧道は竣工[1][2]。しかし、1884年(明治17年)9月15日台風で野蒜港の突堤が崩壊し、野蒜築港が頓挫してしまう。そのため関山隧道は、当初計画の野蒜~山形間の流通に資することが出来なくなった。

(Wikipedia引用)

 

現在は、木の柵で 覆われており

中に入ることは出来ない模様です

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180621221708j:plain

 

関山新道殉難の碑

 

泉や大滝ドライブインの

前にあります石碑です。

 

岩盤を掘削する際に使われた

火薬の運搬の途中にに引火し爆破、

25名の死者と8名の重傷者を出した

大事故が起こったとされ

 

その供養の為に作られた碑になります

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180621225214j:plain

 

一方、1887年(明治20年)12月15日に、日本鉄道本線(現・JR東北本線)が仙台区(現・仙台市)の仙台駅を経て松島湾塩釜港の(初代)塩釜駅(後の塩釜線塩釜埠頭駅)まで開通した。すると、仙台と山形との間の通行量は飛躍的に増大し、人力車荷馬車背負子郵便配達夫などが行き交った

(Wikipedia引用)

 

トンネルの中の様子です

 

だいぶ崩落が進んでおり、

トンネルの奥は宮城方面になります

 

1905年に山形と仙台を結ぶ

奥羽本線が開通した事により

交通は激減しますが

 

自動車の普及により

自動車交通が可能にするため

道路の拡張工事も行われたが

たびたび土砂崩れや落石

雪崩、積雪の問題での通行止めが

問題となりました。

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180621230528j:plain

 

1963年

通行の問題を解決するため

現在の国道48号線沿いに

新関山トンネルの 建設をの

計画が進められ

 

1968年

新関山トンネルの開通にともない

旧関山トンネルと関山街道は

通行禁止となりました

 

f:id:deep-karuma-waap-ec-real-s1:20180621231004j:plain

 

山形の物流と交通の

近代化を促進かさせた事により

平成20年に

近代化産業遺産に認定される事と

なりました。

 

なかなかハードな道でしたが

旧関山トンネルを見れて

よかったと思います。

 

今回で関山街道を行くを

終わりにしたいと思います。

 

にほんブログ村 旅行ブログ 東北旅行へ
にほんブログ村


東北地方旅行ランキングへ

ランキングに参加しています

記事の内容がよろしければ

クリックをお願いします。

 

スポンサーリンク

 

スポンサーリンク