KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

東根市 里見景佐とその後の東根城の歴史 羽州街道を行く

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どーもKABUOです

 

前回の記事の続きになりますが

最上氏氏の支配下に入った

東根景佐と東根周辺一帯の

その後の歴史をご説明します

 

前回の記事はこちらです

 

www.yamagatakabuo.online

 

里見景佐の歴史

 

東根城の重臣であった

里見景佐は最上義光と内応して

前城主であった東根頼景を暗殺!

 

最上義光の調略により東根城は攻略され

東根城主には里見景佐をすえて

東根一帯を統治していきます。

 

里見景佐はその後、

東根氏と名前を変えます

 

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東根国分寺薬師堂

 

里見景佐はその後、

最上義光と共に数々の戦に従軍。

 

東北の関ヶ原、慶長出羽合戦の後

東根一万二千石を領地したとされます

 

こちらの東根国分寺は

1601年に秋田県仙北地方の

小野寺道宜を攻略した時に

戦利品として薬師如来を持ち帰り

東根国分寺に安置したとされたと

伝わっております

 

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梅ヶ枝清水 めがすず

 

その他にも

里見景佐に関連した史跡が

周辺地域に残っており

 

東根城主、東根(里見)景佐の弟に

広台殿という殿がおりました。

近くの山に鷹の巣があると聞き、

家来と共に取りに行ったところ

岩場から落ちて亡くなりました。

 

奥方は遺体を緑の草原に休ませ、

付近に咲いていた

草花をその上にささげた

その丘が、花岡と呼ばれるようになった

 

 奥方は悲しみの余り泉に身を投じて

殿の後を追ったとされる

奥方の名前が梅ヶ枝清水であったので

その泉を梅ヶ清水というようになった

(案内板引用)

 

現在も、梅ヶ清水の泉が残り

今では古民家を活用した

地元ならではの食材を使った

レストランが営業されております

 

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里見景佐公の御霊屋

 

1620年

里見景佐は死去します

 

遺言書が残っており

「最上家はもう三年と持たないだろう」 

 という言葉を残します。

 

その背景は、

最上家の跡継ぎを巡る

家臣同士の内紛が起こり

最上家が崩壊の一途を辿っており

里見景佐はその状況を

嘆いている事がよくわかります

 

そしてその言葉どうり、

1622年、最上家が改易され、

近江一万石と大幅な減石とされます

 

そして、

東根氏は徳島藩預かりの身となり

その後、徳島藩に仕えたとされます

 

その後の東根城・・・

 

その後、

東根城は山形城の支城として

存続しましたが1661年に廃城。

 

1688年、山形城主であった

松平忠弘が宇都宮に転封となると

東根領は宇都宮藩の飛地領土となります

1742年に幕府の天領として

東根城の跡地に東根陣屋が築かれ

東根領地の管理が行われ

幕末にそして明治時代を向かいます

 

以上

東根城と周辺地域の歴史紹介でした

 

つづく

 

 

 

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