KABUO 原付CUBで激走。山形、東北街道巡りの旅 (ときどき海外も)

故郷山形と東北各地の旧街道をメインにHONDAの50ccカブにまたがり各地を巡ります 各地の歴史や史跡、観光スポットを紹介できればと思います ときどき海外旅行も紹介していきます

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裏磐梯を行く 自然豊かな五色沼と磐梯山の風景

どーもKABUOです

 

 

福島県北塩原村に旅行に行った

前回の続きになります

 

yamagata.hatenadiary.com

 

バイクで桧原湖を外周した後、

観光スポットの五色沼行ってまいりました

五色沼の自然の風景や歴史を

ご紹介していきます。

 

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裏磐梯の観光総合案内所です

ここで情報を収集するつもりでしたが

休みで閉まっていました

 

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裏磐梯ビジターセンター

 

こちらのビジターセンターで磐梯山の

動植物の生態系の勉強がすることが

出来ます

 

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ビジターセンターの内部はこんな感じで

磐梯山に生息する動植物の展示がメインです

 

ここで勉強した後、

近くの観光スポットの五色沼に

行ってきました

  

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裏磐梯 五色沼

 

裏磐梯観光協会のホームページでこのように説明されています

2016年にミシュラン・グリーンガイド1つ星に認定。
正確には「五色沼湖沼群」と言い、毘沙門沼・赤沼・みどろ沼・竜沼・弁天沼・るり沼・青沼・柳沼などの数多くの湖沼の総称。
沼によって、エメラルドグリーン、コバルトブルー、ターコイズブルー、エメラルドブルー、パステルブルーと色が違う不思議な場所です。

5つの沼というわけではなく、様々な色彩を見られることから「五色沼」という名前がつきました。色が異なる要因は、天候や季節、見る角度、水中に含まれる火山性物質などによると言われています。

(裏磐梯観光協会 引用)

 

また五色沼の成り立ちは

 

1888年(明治21年)磐梯山頂北側、小磐梯を含む部分が水蒸気爆発によって山体崩壊を起こし、岩なだれが川をせき止め、このエリアに数百もの湖沼が形成されまました。そのうちの数十の湖沼群が「五色沼湖沼群」です

 

(裏磐梯観光協会 引用)

 

写真は毘沙門沼になります

 

五色沼の中でも一番大きい沼で

レンタルボートも貸し出ししており

カップルが楽しんでおりました

 

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歩道もよく整備されている

ところもありましたが

一部岩肌剥き出しで滑る所も

ありまして履く靴には

気を付けた方がよいかと思います。

 

距離も4キロ近く歩き1時間は

かかりましたが景色もよく

秋口、紅葉の季節に

もう一度訪れて見たいものです

 

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五色沼 瑠璃沼

 

前方には磐梯山が見え

五色沼の一番のハイライトです

 

雄大な景色だったのでしばらく

足を止めて磐梯山に

見とれてしまいました

 

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風景が画になりますので風景画を

描いている方がちらほらと

 

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遠藤現夢の石碑

 

本名 遠藤十次郎は磐梯山の

噴火後の裏磐梯で植林活動を行い

緑と自然豊かな裏磐梯を

復活させた方です。

 

まずは彼のご説明をさせていただきます

 

1864年(元治元年)、会津藩のお膝元である会津若松市内の商家・瀧口太右衛門(醸造業)の12男として生まれ、 同じ醸造業で醤油製造をいとなむ遠藤家の養子となり、幼少より剣術を習って真一刀流を極めた。自宅にも道場をつくり、近所の子どもたちの習わせるなど、剣術の普及にも努めたという。

現夢による植林の始まりは、まず鶴ヶ城跡であった。現夢は城の近くに住んでいたので、松平家からその手入れを任せられる。当時の城跡には桜ヶ馬場以外にほとんど桜はなかったが、1908年(明治41年)城跡近くに陸軍歩兵連隊が設置された記念に、同志とともに1000本に及ぶソメイヨシノを植えたのが始まりである。後に会津若松市内の墓山と並ぶ松平家の霊廟、猪苗代町見禰山にもスギの植林を行っている。

その後、1888年(明治21年)の磐梯山噴火に伴う膨大な岩屑なだれに覆われて数十年間荒地のままだった裏磐梯を、もう一度野鳥のさえずる森に変えたいと願い、約2年をかけて気の遠くなるような1340haに及ぶ植林をなしとげ、ついにはこの地の払い下げを受けた。

20世紀初めといえば日本各地でようやく幹線鉄道が開通しだしたばかりである。遠藤現夢も1914年(大正4年)に全通したばかりの磐越西線(開通当時「岩越線」)で、アカマツ5万本・ウルシ2万本・スギ3万本、苗木合計10万本を新潟方面から運び、さらに猪苗代からは馬車で裏磐梯方面に運んだのであるが、当然岩屑なだれ地帯はかつての道路などは埋没したままであり至るところに大きながごろごろしており、あるいは泥濘と化した荒地に新たに道路を造りながらの前進は非常な困難を極めた。

また、植林に関する知識は中村弥六の協力を得て、豪雪に覆われる冬も柳沼近くに番小屋を立てて齋藤丹之丞が中心となって、その苗木の生長を見守っていた。そんな出費が重なりやがては本業も傾きだしたという。

さらに遠藤は森林組合を結成し、さらなる緑化活動に従事するが、その中で磐梯山の旧噴火口に注水して温泉にするいわゆる造成温泉の事業をはじめ、成功するもこれが組合の法規に触れて不評を買ってしまう。そうして苦悶の末に病に倒れ、1934年(昭和11年)、この世を去った。享年73。 

(Wikipedia 引用)

 

噴火後を考えてみるとこの地は

相当に火山灰や土石流で地形が

変わり荒れ果てたことが想像できます

 

それをたった2年の植林活動で

ここまで復活させる事が

出来るんですから驚きです

 

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ここがゴールとなる

裏磐梯物産館です

 

近くにバス停がありますので

先程バイクを停めたパーキングまで

バスが走りますのでここでバスを

待ちながらカフェで休憩しましょう

 

 続く

 

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