どーも、KABUOです。
やっと将棋の生産で有名な天童市に到着しました
今回は羽州街道から道にそれ、最上舟運で栄えた
寺津地区と高擶城跡と城下町雰囲気が残る
高擶地区を紹介します。
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天童市に到着しました。
天童市の看板の脇には生産数日本一を誇る、
将棋のカントリーサインがあります。
古い地図で確認すると清池地区と長岡地区から
高擶地区に街道が続いており
今回は清池地区から高擶地区を目指し
帰りに長岡地区を通りたいと思います。
清池八幡神社と御手洗池跡
天童市清池地区
清池の名前の由来は古くから湧水池が豊富に湧き
清池八幡神社内の御手洗池があり
清池の地名の発祥とされています。
清池八幡神社は源義家の家臣、鎌倉景正が創建
されたと言われ、後三年の役の際に
目を射られた景正が矢を抜いて
洗ったとされる御手洗池があります
東北の八幡神社は義家と関連深い場所が多いです。
清池八幡神社から県道24号線に沿って高擶地区を
目指します。
高擶地区に入り古い地図を頼りに町を散策しますと
湯殿山と庚申塔の石碑が見えて来ました
古い街道を歩いてる実感がわいてきます
高擶地区の地図になります
高擶城を中心に町作りが行われた平城になります
Googleマップの航空写真を確認するとより
高擶城下町の作りがわかると思いますので
是非御覧になって下さい
高擶城跡
高擶地区にある高擶城跡になります
高擶城跡は斯波最上氏二代直家の四男、
最上義直によって築かれました
その後、義直は高擶氏の名を語る事になります
もともと高擶氏と天童を治めた天童氏も
最上家とはもともと親戚同士の関係になります
高擶城は天童城の支城として整備され
一時期、最上義守と険悪になった
最上義光もこの高擶城に預けれた事も
あったそうです。
高擶城下町を歩いて行きます
ほとんど住宅地になってしまいましたが
古い建物も多く存在してほんのり城下町の
風情を感じる町並みをしています
町を歩けば案内書きの看板もあり町の歴史を
学ぶには最高です。
天童ワイン
(公式ホームページ)
通りに天童ワインさんに到着しました
ワインの試飲とワイナリーの見学も出来、
ツアー等も開催されております
安楽寺
石佛寺の石仏
神社仏閣も高擶地区は多いですね。
高擶地区は町並みも家も良く整理されています
天童市は町並みもそうですが歴史史跡の
保存をよく行っている印象を受け史跡巡りには
高擶地区以外も凄く楽しめます。
僕の地元、山形市はまだまだそういった所が
足りないかなと思います
秋元藩館林陣屋跡
羽州街道を行く漆山編でも紹介した上州館林藩の
飛地の領土になります
高擶地区は1622年最上家改易後に高擶城は破棄
される事になります。
その後,秋元家時代に上州館林に転封後に
この地を納める為に,高擶陣屋を置いたとされます
1849年廃止後に郷学校として利用されました。
豚児
お昼は近くのラーメン屋,豚児さんで
中華そばと豚丼ハーフを頂きました。
煮干し出汁の効いたスープを飲み、豚丼を食らう
至福の瞬間。
かなりボリュームがあって食べごたえ満点
また民家を改良した店内は何かばあちゃんの
家に遊びに行った時の懐かしさが溢れる
懐かしさと居心地が良い店内でした。
高擶に訪れたら是非行って欲しいお店です。
お昼ご飯も食べ終わり次は寺津地区に入ります
寺津地区は最上川の船運の重要な港として活用され
商人集荷のうち45%が寺津河岸のもので大石田に
つぐ繁栄ぶりだったそうです
寺津船着場跡と水郷寺津資料館
最盛期には旅籠屋や銭湯、料理屋が軒を並べる
農村地帯でありながら宿場町や港町の姿を
持っていたそうですが徐々に衰退してしまい
埋め立てもあり現在はわずかに河岸跡が
わかる程度になってしまいました
水郷寺津資料館では寺津の船運の歴史が学べる
はずでしたが・・・・・
日曜日なのに開いていない!?
いや~扉が固く閉ざしておりました
やってるのかやってないのかよく分からない
施設でしたね。
・・・・・・・・アバカム!!!!!
KABUOをは呪文を唱えた
はいはい次に進みますよーだ。
寺津日枝神社と法体寺
この地は寒河江の大江氏や最上川の水運を抑える
重要拠点として活用されていた模様で
日枝神社の辺りに寺津城があったとされます。
近くの法体寺は寺津城主である藤原秀敏の
菩提寺となります
その後、寺津城は最上義光との戦で
天童氏共に滅ぼされてしまいました。
天童最上川温泉ゆぴあ
(公式ホームページ)
帰りに近くの最上川温泉ゆぴあに入浴
露天風呂が広くとても居心地がよかったです
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